毒(その2)

 NGOのうち、私はアムネスティ・インターナショナルや国境なき医師団、国際赤十字ペシャワール会などに対しては協力を惜しまないし、他人にも協力を薦めたい。しかし、JVCだとか、ISMだとか、ピースボートだとかは、スタッフ一人一人を市井の個人としては尊敬できても、組織のやっている仕事は客観的にいって無意味で、まじめに取り合う気になれない。その違いは、人権と人道の意味を取り違えていることだ。後者はなぜか最近パレスチナイラクで活動していて、それを「人道支援」だといっている。前者はイラクにもいるが、後者と違って昔からいた。米軍が侵攻する前のアフガニスタンだとか、アフリカだとか、チェチェンでも積極的に活動している。もちろん、人命の軽重を話題性で差別するのは「人道」とは呼ばない。
 報道関係者には、政治的スタンスの左右を問わず、とりわけそういうバカものが多い。「ジェニンで虐殺はあった」とか、「被害者の数を比べることは無意味」だとか、まさに藁屑で考え出したかのような妄言が彼らの口からどんどん出てくるわけだ。一方、大手メディアの外報部のデスクはしばしば、「アフリカ?遠いな」といって、こうしたネタを没にするが、それは私の目にはむしろ正常だ。「遠いな」というセリフは商売上の利益に遠いという意味であり、自分たちが人道の為でなく、株式会社の社員として利潤を追求しているという、ごく当たり前なことを言っているに過ぎない。もっと薄汚いのは人道を口にするニセモノの「人道主義者」の進歩的知識人やジャーナリストたちだ。
 ところで、さらにさらに問題なのは、そういうニセモノたちが、意図的にニセモノをやっているのではなく、単に知的な問題から、自分自身がニセモノだということまったく気がついていないことだ。つまり、彼らは「いい人たち」なんである。だから、この人たちは哀れなまでにバカ面の顔立ちをしていて、みているのが辛い。
 ここにはそういうバカ面がいないので、ストレスが溜まらなくて気持ちがいい。食事はまずいし、物価も高いが、ジュネーブはすっかり気に入った。