喪中

とうとう、こうしたおおっぴらな場所で、「おめでとう」といわなかった。
神道でなくムスリムである私は、偏狭で排他的にならないためにも、
はたして日本の人たちに向けて「おめでとう」というべきなのかと
考え続けていたが、やはりいうべきでないということで、心を決めた。

共同通信の原田浩司カメラマンからメールをいただく。
プーケットで死臭の中で仕事をしている。
なんとむごい正月だろう。
そこに「おめでとう」とはやはりいえない。
喪中だ。

引き篭もりついでにつけてみるテレビは正月番組ばかりで、
みんな新年を祝っている。
人類がたった今直面した悲劇のニュースはなかなかない。
違和感を感じている私の方がおかしいのかな?
ただでさえ私はネクラだし、特にこのところ身の上に続いた
ろくでもないできごとに凹んで、ビョーキになっちゃうんじゃないかと
心配しなければいけない程度になってきた。
自分の客観性にあんまり自信がない。
常識的で健全なオトナというものは、こういうハレの日に
世間の楽しみに水を差すものではないのかな?

15万人なのか、20万人なのか、とにかく歴史上もっとも大きな災害の
さなかにあって、私は地球が一回転したことを祝えない。
アジアでも欧州でも、いたるところで黙祷して犠牲者を悼んでいる。
新年の祝いそのものを中止したところもあったそうだ。
すると、自分が偏屈なのかとも思ったが、
どうやらこちらが普遍に近かったようだ。

個人としての私も、チェチェンの兄弟を失って喪中だ。
とにかくひどい世の中だ。

晦日にバイクでコケて全身がちょっと痛むので、この3日間どこにも
行かずに寝て過ごしていたが、元東長崎のギャルギャルふじゅんこが
電話をくれたので、新宿で逢って初しゃぶしゃぶを食べる。
午後7時、ヘルメットを持って代々木八幡へ。
壊れて、雪の中に残してきたバイクを回収する。
クラッチが折れているので、キックで無理やりシフトチェンジしながら、
なんとか東中野までバイクを動かす。
帰宅後寝ていたら、「プロ」のジャーナリスト志葉玲くんが、東長崎機関
載った泣きべそ写真についておめでたい文句を言ってきたので、
(参照→ http://www.higashi-nagasaki.com/d2004/D01-2004_86.html
安田くんのモノマネでなんなく返り討ちにする。
私に楯突くなんざ、100万年早いわ。
顔を洗って出直して来なさい。
こちとらそんなめでたい気分じゃないのだ。