チェチェンのテロリスト(その2)

老戦士に助け起こされると、私は二人が走り去ったあとを
這うようにして追い、木々の間の藪の中に捨てられた背嚢を見つけた。
中からこれまでに撮影したフィルムとビデオテープだけが
抜き取られていた。

バサエフ部隊の野戦司令官であったはずのルスキーが
なぜヘロイン中毒になっていたのか、なぜ私からフィルムを
奪ったのか、その後長いこと考えていた。
今では、ルスキーはつまり、ロシアの諜報機関に買収され、
ヘロインや金と引き換えに、ゲラエフの動きをスパイしたり、
私の取材活動を監視したり、妨害したりしていたのだ、と考えている。
ゲラエフ部隊に唯一人従軍同行していた私を
ルスキーは恐らく、ロシア当局の指示で監視していたが、
ルスキー部隊から私が離脱しようとして、
いよいよ監視ができなくなることを悟ったため、
フィルムを奪うという行動に出たのだろう。
そうでなければ、チェチェン人が自分たちの陣営で
取材する記者を妨害するということは考えられない。
世界に孤立している彼らにとって、ジャーナリストは
貴重な存在なのだから。

チェチェン独立派のイスラム聖戦士たちの多くは、
非常に真面目で敬虔なムスリムだった。
若者たちは夜毎に集まって、聖戦とはなんであるか、
自分たちはどうあるべきかを話し合っていた。

彼らは、自分たちは自爆攻撃でイスラエルの市民を殺傷する
パレスチナの自称イスラム聖戦士たちと違って、
決して女性や子どもを傷つけない、侵略者たる
ロシアの戦闘員だけを相手に戦っていることを
常に誇りにしていた。(その3へ)