チェチェンのテロリスト(その1)

2001年の9月、アブハジアの山中で、私は逃げ回っていた。
チェチェンゲリラの司令官ルスキーが私を狙っていたからだ。
私は初対面のルスキーの部隊に組み入れられていた。
これは、彼がゲラエフ部隊ではなく、バサエフ部隊に所属していて、
私の身柄を預かっていたシャムスディンがバサエフ
古い友人だったからだ。
初めは、ルスキーがどんな人間か分からなかった。
が、薬物中毒特有の、おぼつかない目をしているのを見たとき、
背筋が寒くなった。
やがて、私の荷物から現金などが盗まれていることが分かったとき、
「この部隊から逃げ出さねば危ない」と、自覚した。
私はある日、川のほとりにやって来たゲラエフに直談判した。
ゲラエフは私がルスキー部隊を離脱して、他の部隊に移ることを、
許可してくれた。
ところが、背嚢の装備をまとめて部隊を離れようとした私に、
ルスキーの子飼いの部下アスハブがキンジャル(長剣)で襲い掛かった。
ルスキーは虚ろな目をしてアスハブと私を見ている。
大きな立ち木に追い詰められ、腹にキンジャルを突きつけられながら、
「ハムザート(ゲラエフ)の命令だよ!」と訴える私に、
ルスキーは言った。
「ハムザートがなにさまだ。
おれたちのアミール(司令官)はシャミル・バサエフだ」
私は耳を疑った。
この400人の集団は、ハムザート・ゲラエフをアミールとする
チェチェン・ムジャヒディン大隊だ。
もともとバサエフ派だからといって、この作戦に参加した以上、
ゲラエフをアミールと認める義務があるはずだ。
私はルスキーに、2晩天幕に幽閉された。
3日目の朝、ゲラエフからの移動命令が出て、一同が立ち上がったとき、
私は従わなかった。
ルスキーは副官のアドランと共に、私の腕をひねりあげて、
森の奥へ引き立てていった。
二人が人気のない方向へ私を引き摺ろうとするので、私は激しく抵抗した。
ルスキーが一つ、目配せをすると、アドランはルスキーの腰から
拳銃を抜いて、私の眉間に狙いをつけた。
誰にも知られず殺されてゆく恐怖と悔しさで、目の前が真っ白になった。
そこへ、アジャル人の老戦士が、音を聞きつけて歩み寄って来た。
ルスキーとアドランは舌打ちをすると、私の背嚢だけを奪って、
走り去った。(その2へ)