正反対(その1)

ワシントンに亡命して活動しているチェチェン独立派外務省が
ようやく公式声明を出し、私のところへも送ってきた。

北オセチアでの学校占拠事件への関与を否定し、国連安保理と協力して
人質解放を要求するとしている。
今回の事件の背後に誰が糸を引いているとしても、大統領マスハドフ率いる
チェチェンの抵抗運動は、あらゆるテロリズムを断固として
否定するとしている。
その上で、その国連安保理がこれまで10年間のチェチェン戦争中、
42,000人を超すチェチェンの子どもたちの殺害について
下手人たるロシアを一切非難してこなかったことを批判している。
(参照→ http://www.chechnya-mfa.info

一方、メディアは、脱出した人質の証言として、占拠グループの
リーダーの顔が野戦司令官ドク・ウマロフによく似ていたという情報を
伝えている。
ドク・ウマロフはマスハドフ政権の国家保安大臣に任命されたばかりで、
マスハドフ政権の中枢にいる閣僚だ。
チェチェン独立派の主張とメディアの報道内容が完全に食い違っている。

モスクワ劇場占拠事件のケースを思い出す。
今回のケースとの共通点が多い。
劇場占拠事件では、若手司令官モフサル・バラエフ率いる
占拠グループの中に、ハンパシャ・テルキバエフという男がいた。
事件の報道では、バラエフ一味はその場で全員射殺された
ということになっていたが、実はテルキバエフだけが
生きてロシア秘密警察FSBに拘束されていた。
テルキバエフは、かつて独立派大統領マスハドフの報道官や
在ヨルダン・チェチェン代表まで務めた人物だった。
不思議なことに、事件から数ヵ月後、ストラスブール欧州議会の席に
テルキバエフはロシア代表団の報道官として同行していた。
つまり、彼は初めからロシア側の人間だったということだ。
FSBはずっと前から、スパイ・テルキバエフを
マスハドフの陣営に送り込んでいた。
だから、劇場選挙事件を事前に知っていたし、FSBはテルキバエフを使って、
チェチェン側に作戦実行を唆すことすらできた。(その2へ)