「プロ」と「シロウト」(その1)

パキスタン人でアラビア語も解し、敬虔なイスラム教徒である
ムハンマド・ズベル氏であれば、現在のイラクでの取材で
危険を回避することは容易いのでは、と思っていたが、
ズベル氏は現地の協力者から「決して来てはいけない」といわれ、
当面現地入りを断念されたそうだ。
これは並大抵ではないのかなあ。

11時午後8時半頃、国際基督教大学の学生Hくんが東中野を訪れたので、
駅まで迎えに行く。
Hくんは武田徹さんの生徒で、課題としてルポルタージュを書いている。
彼が取り組んでいるのは日本のイスラム教徒というテーマでのルポで、
日本人ムスリムの一人として私に話を聞きに来てくれた。

学生の身分で彼は、サウジアラビアにまでいったことがあり、
よく勉強していることに驚いた。
学生と話をする機会は最近多いのだが、おいおいといいたくなるほど
なんにも知らない子から、こちらが驚くほど勉強している子まで
知識水準に開きがあって、教えるのは大変だろうな、と
武田さんや田島さん、中田さん丸山さん浅野さんら、
お会いした大学教授について思う。

もっともそれは、大学を出て新聞やテレビ、雑誌の記者になった
卒業生についても全く事情はおんなじで、
こちらがのけぞるほど何にも勉強していない記者が
当たり前のように知識を必要とする記事を書いている。
当然書いている記事は事実と遠くかけ離れ、
結局のところ誰かの意図通りに「書かされ」ている。

例えば、レーガンの死をめぐる各社のちょうちんブラブラ記事の
中身のなさ具合はどうだ?
米国が今のタイミングで感傷的になるのはまだ分かるが、
なぜ日本で米国とおなじ温度で報じる必要がある?
ニカラグアや中米諸国、リビアなどでレーガンが行った
史上稀に見る残虐行為を無視して、サッチャーの発言した
「一発の銃弾も撃たずに共産主義に勝利した」
という大嘘をそのまま垂れ流すのは、不勉強丸出しとしか言いようがない。
そして、今のタイミングでレーガンを歴史上の偉人に
祭り上げることの裏には、どんな意図が隠されているだろう?(その2へ)