「プロ」と「シロウト」(その2)

よく考えてみると、私は学生時代から、特に努力することもなく、
彼らダメ記者連中よりも独学でより多くの知識を仕入れていたし、
学生時代にやってきたことを今もそのまま続けているといっていい。
プロだから素人よりもなにか有利なことがあるわけではないのだ。
プロというのは優れているからプロなのではなく、
そういう名前の椅子にふんぞり返って座っているというだけのことで、
中身とは関係ない。
だから、つまらぬプロは学生にもバックパッカーにも
当然太刀打ちできないのだ。

長崎で記者をやっていた頃、地元の草野球少年たちに
プロ野球のOBたちが野球を教えるという企画を取材した。
「これがプロの投球だよ」といって、元選手が投げたボールは
唸りを上げてキャッチャーのミットに突き刺さり、
見学していた少年たちから驚嘆の声が挙がった。

思えば、スポーツのプロフェッショナルの人たちは、
その実力でプロであることを認めさせてゆかねばならない。
実績を示せなくなったら、二軍落ちや引退が待っている。

プロが何の根拠もなく身分を保証されているのは
やはりメディアの世界ぐらいではないか。
入社試験というのは、その人の記者やもの書きとしての
能力を測れるほどのものではないはずなのに、
一旦パスしてしまうと、相当の犯罪でもやらかさない限り、
終身保護される。
フリーですらそうだ。
メディアの世界のフリーは実力で測られるとは
到底いいがたい。
仕事は寧ろ、コネによって回される。
業界のコネを上手に作れるものが
おいしい思いができるようになっている。
そういうくだらない人間がうじゃうじゃ溢れかえっていることを
自分がフリーになって知った。
メディアほど甘ちょろい世界はやはり他にない。