急転直下の一夜

昨日10日、午後5時に新宿でギャルギャルTRさんと落ち合い、
ラベルデで夕食デート。
午後11時半頃帰宅して、11日午前3時頃だったか、
東京新聞のK記者からの電話で、アルジャジーラの放送を知った。
村上和巳氏、相澤恭行氏ら、高遠菜穂子さんの友人たちにまず電話で連絡。
それから、バグダッドのサラマッドの携帯を鳴らし、現地の状況を聞く。
そのころ光文社FLASH編集部は、大混乱に陥っていた。
火曜日発売のこの雑誌は、今まさに入稿中だったのだ。
今回の人質事件に7ページも割こうとしていたこの週刊誌にとって、
誰もが喜ぶ解放の報せは、降って湧いた災難だった。
内容を差し替えなければならない。
サラマッドのコメントを原稿にして、メールで編集部に送った。
相澤ヤッチの片腕サラマッドは、今日の解放への動きを
ほぼ正確に事前に知っていた。
現地ではスンニー派ウラマーが解放を呼びかける声明を出した直後から、
事件解決に楽観的になっていたという。
イラクの市民は今回のファルージャでの大規模衝突が
バース党の残党や外国人義勇兵など、イラクの多数派市民と
かけ離れた勢力によるものでなく、
市民の中の敬虔な信仰心を持つ人たちによる
反占領イスラム抵抗運動だと分かっていたというのだ。
だから、真摯で敬虔な彼らは宗教指導者の呼びかけを
無視することはないだろうと、
イラク市民の多くが楽観的に事態を注視していた。

空が明るくなってから、少しだけ眠った。
朝9時頃、長崎新聞の電話取材を受けた。