遠い悲劇(その2)

外へ出て、大通りで流しを捕まえた。
鉄道駅方面へ行ってもらう。
その近くに陸自宿営地がある、というホテルのスタッフの説明だった。
なんにもない砂漠を10キロも走って、鉄道駅を回りこんだところに
オランダ軍の宿営地があった。
が、自衛隊はすでに独自の宿営地に移ったということで、
それはまったく別の場所なのだそうだった。
サマワ方面へ戻って、西へ。
あった。
Mさんという人が応対してくれた。
M三佐をとお願いしたが、今出ているそうだった。
許可がなければ、取り付け道路からの撮影さえも禁止だそうだった。
何も撮れないに等しい。
事前の取材申請をしていない以上、仕方がない。
取材申請はしようと思えばできたにも関わらず、
テレビ局との相談でしないと決めていたのだ。
それが今日になって、やっぱりしておいても良かったかな
ということになる。
もっとも、こっちに来ている自衛隊のあとを追っかける取材の必要性は、
別のメディアの仕事の上でも全くないので、ま、いいか。
サマワへ帰った。
ドライバーには20ドルと5000ディナールを支払った。
それにしても、オランダ軍といい、陸自といい、本当に砂漠の真ん中の
人っ子一人いないところに宿営地を設営しているのだ。

昨日は昼食、夕食を持って来てくれたが、今日は一日何も出してくれない。
忘れているのかも知れない。
バグダッドで買ったナツメヤシと、昨日店が開いているうちに
買った乾パン、それにウガリットコーラで空腹を癒す。
ナツメヤシは中に虫がいるのが数割の確立であるので、
まず実を割ってみて、きれいだったら食べる。
大きなイモムシが出てくることもある。
虫の入ったナツメヤシの割られた実が、テーブルにゴロゴロ転がった。
乾パンはおそろしく不味い。
500ディナールだったから仕方がない。

先月末、サフィール・ホテルには橋田信介さんもやってきた。
イラクのバラ色の将来への見通しは全く変わらず。
来て見るまでもなかった。
私はもう、帰国前倒しの計画に取り掛かったぞ。
予約変更手数料は75ドルなのに対し、現在イラク国内で一日あたり
25ドルぐらい使っている計算になるから、3日以上早められれば
変更の意味がある。
アンマンからモスクワへのアエロフロートは月・金の週二便。
12日発か15日発なんかどうだろう。
8日発は少し厳しい気がする。