バグダッド概観(その4)

彼は改宗ムスリムなのだが、あんまりそれを
カミングアウトしていないらしい。
サドゥン大通りの側にフラットを借りて、
本格的に長期取材しているらしい。
この8ヶ月ほとんどイラクを出ることなく取材していたようで、
少し痩せたみたいだ。
連絡先を交換して、一旦別れた。
偶然の再会を神に感謝した。
まだ会ってはいないが、やはり去年5月に長いこと過ごした
亡命イラク人青年実業家のオマル・ハディくんとも、
私はずっと連絡を取り続けている。
彼は私と一緒にイラク入りした後、そのままバグダッドに留まって
ハリバートンと働いているらしい。
彼はロンドンだかに恋人を残してきているといっていたが、
一年近く置いてけぼりにして、見捨てられたりしないのかなあ。
フラれキャラの私としては、見習うしかない。

そういえば、「人間の盾」の日本人の中で一番肝が据わっていて
頼りになったダンサー村岸由季子さんは
戦後そのままバグダッドに留まって、結核患者の
受け入れ先病院を探して奔走するなど、
頭が下がるばかりの働き振りだったが、その後は市内の
中華料理店で働いていると聞いていた。
それが最近、アル・サフィールホテルの側に立派なフラットを借りて、
腰を据えて生活し始めたそうだ。
イラクは大勢の人の人生を変えているのだなあ。

私の目にはイラク人というのは、とにかくどうしようもないほど
ブサイクで写真の被写体にしにくい。
働き者で冷静で、要領が良くて賢くて、
そして覇気とプライドと深い精神性が見えない。
私は自分がバカだから、もっと要領が悪くて遅れてて怠け者で
バカな連中の方が付き合っていて腹が立ちもするが、
同じ気持ちを持ちやすい。

今日は新潮社のギャルギャルT編集者から
原稿の直しが送られてくるかと思っていたが来なかった。
きっと私の手間のかかる原稿に赤ペンを入れるのに
手こずっていらっしゃるのだろう。
申し訳ありません。
ごめんなさい。
すみません。
お許しください。

新潮社の次の記事の準備の必要もあって、やはり早めに帰りたい。
イラクよりどこをどうみたって、チェチェンや我らが祖国の方が
重要で深刻なのだから。

明日金曜日はまず、カルバラに行くとして、
土曜日と日曜日にどうするかだ。
日曜には一旦、バグダッドへ戻って相澤くんに会うとしようかなあ。