傷(その2)

そのとき私は分かったつもりになっていた。
実際には、まったく分かっていなかった。
私は、自分ではまったく気づかずに、まさに「君の傷が嫌いだ」といって
心だけ彼女の元を去っていたのだった。

前川麻子という人物は、少女時代に大きなストレスの原因となる
体験に見舞われ、心のどこか一部が7歳程度の年齢のまま、
成長を止めてしまっている。
彼女が異常というほど高い知能と創造的な才能を発揮するにも拘らず、
幸せな人生を送るということにかけては、
世間の多くの人より不器用であった原因だ。

精神病理学者であれば、人格発達障害であるとか、
境界性人格障害であるとか、偏執症だとか、依存症だとか、
ACだとか、PTSDだとか、適当な名前をつけるだろう。
しかし、前川麻子は、その事実も含めて前川麻子だった。
心の傷を持っていなければ、彼女は偉大な作家でも、
偉大な女優でもありえなかっただろうし、前川麻子を評価するとは、
彼女が傷を負いながら生き延びてきた過去を含めて、
いやむしろ昇華されたその過去をこそ、評価するということだったはずだ。
彼女を見るとは、彼女が今なお傷口から血を流し続けているという事実に
向き合うということだったはずだ。

私に見えていたのは、「そこに愛がない」という表面的な事実だけだった。
モトカノに会って、彼女がまさに傷から血を流し続け、
痛みを訴えているのを見て、
ようやく私は前川氏の障害の性質に気がついた。
モトカノとはまったく違った形で、
私は彼女の傷口を見続けていたのだった。
見ていながら、気づかなかった。
今頃、気がついた。
しかし、もう遅すぎた。

あさちゃん、ごめんなさい。
ぼくは自分の愚かさを思い知りました。

前川麻子氏のウェブサイトはこちら↓)
http://home.att.ne.jp/banana/enfant/