『公開恋愛』はなかった(その2)

「公開恋愛」はなによりも、前川氏にとって初めから不可能だった。
彼女はもともと、自分の恋愛を自分の手で公開し続けている。
彼女にとって初めての体験だったのは、自分の姿が他人の眼で、
自分の考えているものと違った姿で公開されるということだ。
彼女は初め公開理由について、
「客観的にそれを楽しみたい。
主観に溺れて恋としてしくじるのを避けようという魂胆もある」
と説明したが、途中で「露悪趣味」と説明を変えている。
彼女の壊れかけた、あるいはすでに壊れている精神は、
自分自身が他人の視点で切り刻まれるストレスに耐えられるようには
できていなかったし、
彼女自身は自分が耐えられないという自覚をすでに失って、
暴走しつつあった。

しかし、一旦始めてしまった「公開恋愛」を、
再び私たち二人だけの間での出来事に引き戻すのもまた、
彼女にとって大きなストレスだったらしい。

24日以降、今日までの時間は、男性なしでいられない依存症の
前川氏にとって、次なる恋人が見つかるまでの中継ぎの期間だった。
この間、元恋人である私は、彼女に片想いを続けて、
彼女の精神を安定させ続けなければならないのだ。
私はこの点は非常によく分かっていたから、自分でも誠実だと思うほど、
真面目に一方的な愛を彼女に送り続けた。
彼女は結果、彼女の歴史の中では稀なことに、「しばらく一人でいたい」
と感じるようになっていた。

27日の朝方、へべれけの前川氏は「うちに来て」といったが、
私は拒否した。
28日にはメールで「来週一緒に買い物でも」と誘われたが、私は無視した。
私の精神の方がもたなかったからだ。

先ほど届いたお別れのメールは、つまりそういう私の無理のある役割も
とうとう終わったということなのだった。
初めに彼女が書いたように、私は彼女の「聖火ランナー」だった。
ただし、その区間は非常に非常に短かった。
しばらく経ってから、彼女の主演作のDVDや第二作、第三作の小説を
読もうと思う。

さて、コンゴはなんと遠いのだろう。

前川麻子氏のウェブサイトはこちら↓)
http://home.att.ne.jp/banana/enfant/