愛人とモトカレ(その2)

携帯電話でT氏が帰ったことを知らされ前川氏宅に行くと、
彼女はパソコンに向かっていた。
しかし、仕事は進まないようだ。
ベッドに体を投げ出すと、黙って涙を流し始めた。
私には事情が分からなかったが、T氏の件だということは分かる。
つまり、それで仕事が手につかなかったわけだろう。
私は自分がどうすべきなのか、よく分からない。
自分がT氏を忘れるためにこそ必要とされたということは、
次第に理解できるようになっていた。
それでも、前川氏という人物はそんなふうに利己的に誰かを利用しても、
その相手と「向き合う」ことで許されようとする。
彼女がやがてT氏を忘れるころ、私は必要じゃなくなるのかな、
と私は考えていた。

彼女の恋愛は病的な依存症だ。
自分を愛し続けるために、自分を愛し包み込む誰かを必要とし続ける。
私にとってよく分からないのは、彼女を慈しみ続ける誰かがいても、
彼女はこれまで、別の誰かに依存の対象を移してきたことだ。
新しい対象ができると、古い誰かは依存の対象ではなく、
家族となって向き合うある意味、より対等に近い関係となるらしい。
いずれ、彼女は彼女にとってもはや必要でなくなった私とも
「向き合」おうとするのだろうか。

こうして書いていても私は、自分の心の中の万分の一も
書ききれないことをもどかしく感じている。
前川氏とメールやチャットでやり取りするときも、
焦れて焦れてしようがない。
違う、私が言いたいのは、本当はそんなことじゃない、
と思い続けながらキーボードを叩き続ける。

少しでも、会って話をする時間が欲しい。
いやむしろ、会えば話なんか初めからする必要がないのかもしれない。

前川氏は午前2時に泣くのをやめ、仕事机に向かった。
それからの仕事振りは超人的だった。
私は彼女が仕事を仕上げるまで起きていられなかった。
午前11時前に「終わった」と声がして目を覚ますと、
前川氏がベッドに倒れこむところだった。

前川麻子氏のウェブサイトはこちら↓)
http://home.att.ne.jp/banana/enfant/