アクラ(その2)

 ホテルがないので、乗り合いタクシーはターミナルのそばまでやってきた。道を尋ねた床屋さんで一休みさせていただいた。ついでに散髪した。床屋さんに荷物を置かせていただき、町の写真を撮ってからモスルに戻ることにした。床屋さんはどうしても散髪料金を受け取ってくれなかった。さらに床屋さんの息子くんが町を案内してくれた。
 床屋さんの息子エマートくんは、私をタクシーで町の広場までつれてゆき、それから町を一望できる高台へ上った。アクラは相変わらず、ため息が出るほど美しかった。クルド民族は山岳民だ。山岳地帯の谷間に村を作る。谷に沿って流れる渓流に生活の水を求めて、谷底から斜面上に段々畑のように家々を造り重ねてゆく。かつてはアクラのようなクルドの伝統的なつくりの村は、イラク北部各地にあったという。しかし、サダムはアンファルオペレーションで、こうした村々を全てブルドーザーでひき潰していった。アクラがなぜ美しいのか?それはサダムのアンファルオペレーションを免れたほとんど唯一の村だったからだ。
 10年前に来たときは、秋の終わりだった。アクラの谷にはかすみがたなびいていて、空気の中に水の細かな粒が見えた。今回は夏の初めで、あの頃のように幻想的ではない。谷間の空気も目には見えない。当時は日干し煉瓦の家だったのが、今ではほとんどがコンクリート造りに変わっている。屋根の上には衛星放送のパラボラが目立つ。当然の変化が目の前に現実感を見せ付けている。それでも、アクラはなおもクルドの伝統的な谷間の村であることを少しもやめようとはしていなかった。(その3へ)