アクラ(その1)

 朝早く、神崎弟くんが出て行った。彼はバグダッドに戻って出国する。16日に帰国便の飛行機がある。私と佐竹さんはタクシーでシマールガラージュ(北ターミナル)へ。ここからモスル行きの乗り合いが出る。アクラにはモスルを経由せざるを得ないそうだ。昼頃、モスルの北ターミナルに到着した。
 モスルは旧約聖書に出てくるニネベの街だ。街の入り口は城門だった。緑豊かなクルディスタンから砂漠のオアシス都市に戻ってくると、どことなく殺伐とした印象がぬぐえないが、ここはそれだけでなく、なんとなく荒んだ感じがする。と思ったら、米軍の車列が現れた。銃座の兵士は引き金に指をかけている。こんな光景はバグダッド以来だ。スレイマニヤでも、アルビルでも、キルクークでも、米兵は気楽そうに歩いていた。
 キルクークもモスルも、もともとクルド人が住んでいた地域で、キルクークの方は戦後の短い期間に人口のクルド化が進んだ印象だった。街中にクルドの民族衣装クワ・オ・パトゥールが溢れていた。しかし、モスルではクワ・オ・パトゥールをほとんど見かけない。キルクークでは街中からイラク国旗がすっかり姿を消し、クルド民族旗とPUKの党旗がはためいていたが、こちらでは元のままのイラク国旗があちらこちらに掲げられている。
 佐竹さんは列車でバグダッドへ戻りたいので、ここから駅に向かう。私はそのまま、乗り合いタクシーを乗り換えてアクラへ。
 アクラはそれなりの規模の町だから、泊まる所ぐらいあるかと思っていたら、ホテルはないのだそうだ。10年前、私は泊まる気はないのに、ディヤールに付き合ってアクラに来た。ディヤールの叔父さんのサデック氏のお宅に、二晩も泊めていただいた。結果としては、アクラは忘れられない町になった。美しかったのだ。(その2へ)