アクラ(その3)

 エマートは次に、私を山の上に連れて行った。通りかかった若者たちが同行してくれた。岩をいくつも登りながら、私はやはり10年前を思い出していた。イラク北部クルディスタンの話をしてくれたのは、隣国のイラン西部クルディスタンの、山岳地帯のクルド人ゲリラの若者たちだった。彼らは私をイラク国境の山頂まで連れてゆき、いった。
「この向こうには自由のクルディスタンがある。いずれ、おれたちの場所も、そうなる」
 イランのクルドゲリラ「イラン・クルド民主党(KDPI)」の若者たちは、空気の希薄な山肌を飛ぶように駆け上がっていった。そして、息を切らしている私を振り返っていった。
クルドは山の民だ。おれたちには、この岩場は舗装道路と同じだ」
 あの時とまったく同じだ。私は息を切らしていて、目が眩みそうになっているのに、エマートたちは当たり前のように岩場を駆け上ってゆく。
 山頂で再び私は息を飲んだ。そこには見たことのない古代遺跡があった。岩を穿って、王の居室らしい空間が作られている。牢獄なのか、巨大な地下空間が彫られている。王の入浴場らしき濠もあった。エマートたちによると、クルドがここへ来る以前に、ここを支配していたキリスト教徒の王の要塞を兼ねた城だという。この遺跡は外の世界に知られているのだろうか?
 エマートも父親も、どうしても謝礼を受け取ってくれなかった。それどころか、モスルへ戻るのをよして、家に泊まってゆかないかと誘ってくださった。涙が出そうに嬉しかったが、私は乗り合いタクシーでモスルへ向かった。
 昨日のアルビルの安ホテルにはベランダがなく、窓も小さかったから、衛星電話のアンテナを立てるのは無理だった。今日のモスルのホテルに希望を託していたら、もっとひどかった。南に窓の開いた部屋を空けてもらったはいいが、窓の外50センチに一面の壁だ。隣のビルだった。屋上で作業しようと最上階へあがったが、鍵が閉められていた。諦めた。明日、マジャリス・バグダディヤ・ホテルで衛星と交信しよう。
 疲れ果てて、食事する気がしない。ホテルのそばの繁華街でブドウのジュースやソフトクリームを食べた。流動食なら大丈夫。これが今日の夕食だ。