クルディスタン(その2)

 キルクークは平べったい都市で、あんまり楽しそうに見えない。油田の町のはずなのに、ここでもガソリンスタンドの前にとてつもない車の行列ができていた。警備していたのはクルド民主党(KDP)の兵士だった。
 10年前に出会ったクルド民主党クルド愛国者同盟(PUK)の兵士たちはクルドの民族衣装クワ・オ・パトゥールにカラシニコフ自動小銃武装して、それはそれは美しかった。市民は彼らを英雄視し、「ペシュメルガ(死ぬ行くものたち)」と呼んだ。しかし、今はKDPもPUKも、普通の緑色の軍服を着ている。これはちっとも絵にならない。残念だ。ぜひ元に戻して欲しい。カッコはやはりとても大事だ。
 キルクークを過ぎると、風景がすっかり変わった。平べったい砂漠は終わって、なだらかな草原となり、やがて林が現れた。起伏が大きくなり、ゆるやかに山岳地帯に入ってゆく。
 夕方4時頃、目的地のスレイマニヤクルド語ではスラマニ)に着いた。丘の上のアブ・サナ・ホテルにチェック・インする。ツインルームひとつ25ドル。バグダッドで泊まっていたホテルの3倍以上だ。が、これでもスレイマニヤでは安宿の部類なのだそうだ。これをう〜さんとシェアする。部屋にはテレビと冷蔵庫があって、テレビはCNNが映る。バグダッドと違って、水も電気も24時間ある。冷房もついていた。
 私は10年前にこの街に来たことがある。93年の秋に、トルコから一人で密入国した。当時のこの街は湾岸戦争後の国連のイラクに対する経済制裁に加えて、サダム政府からクルド自治政府に対する経済制裁を受けるという、いわゆる「二重の経済制裁」によって、息も絶え絶えという状況だった。電気も水もなく、道路も橋も電話線も破壊されて、市民はまきを燃やして暖を取り、ランプの灯で明かりを取り、河の濁った水を沸かして飲んでいた。
 街を歩いて驚いた。ここはバグダッドとも、10年前に私が訪れた街とも、別の国のようだった。市民は欧米のどこかの町のように洗練された服装をして往来し、ファーストフード店は若者で賑わい、ピカピカのドイツ車や日本車が走り、繁華街には電化製品と携帯電話の店、インターネットカフェが並んでいる。(その3へ続く)