クルディスタン(その3)

 スレイマニヤはPUKの本拠地となっている。PUKのメディアセンターがあったので、責任者に今後の見通しなどについて詳しく話を聞いた。それによると、PUKが戦後のイラクで今力を入れていることは、サダム時代の弾圧・拷問・処刑の責任者を市民のリンチでなく、法廷で裁くことや、クルド人が追い出されたあとのサダム政府支配下の街に入植していたアラブ人と、帰還クルド人との融和問題などだそうだ。
 10年前、湾岸戦争後の蜂起で領域内からサダムの影響力を排除し、事実上の独立状態を勝ち取ったPUKとKDPは、さかんに「完全なる独立を!」と叫んでいた。クルド人がサダムの軍隊を排除できたのは米国ら多国籍軍の設定した「飛行禁止区域」のお陰で、いわば米国にもらった自由だったわけだが、そのわりに当時の彼らは米国をよくいっていなかった。
 「おれたちは明日の運命も分からない。米国のさじ加減ひとつで、クルドの自由は消える。米国はサダムを本気で追い出す気はないのではないか。われわれは誰も信用していない」
 今回、PUKもKDPもしつこいほど、「独立は求めない。イラクの一体性を守り、連邦制を支持する」と外の社会に向かって繰り返している。 さらにPUKは「全てのクルド人が米英を歓迎し、感謝している」ともいった。
 そこで、「10年前にPUKが『独立を!』と叫んでいたのは、イラクからの独立ではなく、あくまでサダム支配からの独立だったのですか?」と訊いてみた。
「政治的な問題で、私たちPUKは決して独立を求めない。でも、独立が全クルド人の、何代も語り継いできた夢だということは事実だ。私はPUKの職員としては決して独立なんていわない。しかし、私の子供には独立の夢を語る。子供は孫に語るだろう。夢を見る権利ぐらいは、私たちにも認めてもらってもいいんじゃないかね」と、メディアセンターのスタッフにして本業は歌手だというバルザン氏は語った。
 メディアセンターを出たあと、繁華街の商店主と英語で雑談をしながら、私は彼にも独立という問題について訊いてみた。
「独自の歴史も、文化も、言語も、すべてある私たちに、どうして国を持つ権利だけがないのか。日本人や中国人や英国人が持っている権利を、どうして私たちだけが持てないのか。私たちも欲しいよ」というのが答えだった。