「ダモイ」(その2)

死んでいった人たちは、どれほど家に帰りたかっただろう。
誰にも知られず殺されてゆくことをどれほど悔しく思っただろう。
去年、アブハジアで私もそう思った。
一緒にいたチェチェン人たちも、多分同じだった。
「ダモイ」「ダモイハチュー」(帰りたい)とぼやき続けていた。
チェチェンとの共同作戦をとったグルジア人軍事組織「森の兄弟」の民兵たちも、
アブハジアに奪われたスフミの我が家へ帰りたがっていた。
チェチェン人の捕虜となったアブハジア兵2人と、行軍の後半、
私は共同生活をしたが、彼らもまた、チェチェン人につきあわされ、
飢えに苦しみながら「帰りたい」「帰りたい」と嘆き続けていた。

私自身は、自分を拘束し、隠匿し、帰国を妨害したグルジア政府を
恨む気持ちはない。
恐い思いをしたけれど、その価値はあったし、
グルジア政府にとっては迷惑かも知れないが、私は今もグルジアが大好きだし、
再びグルジアへ行きたい。
私は危険を承知の上で現地へ向かったし、理不尽な理由で命を落としたとしても、
誰にも責任を問えないと思っている。
むしろ、この一件によって、自分がグルジアで見た事実の
価値を知ることができた。
チェチェンアブハジアに関する政策がグルジア政府にとって、
国際法を無視して外国人ジャーナリストの命を奪ってでも
推し進めたい種類のもので、
旧ソ連グルジアに、かつてのKGBの謀略体質がこれほど色濃く残っていることを
知ることができて良かったと思っている。

しかし、北朝鮮に拉致されて死んでいった日本人や、
ロシアの侵攻を受けたチェチェン人や、
アブハジアに故郷を逐われたグルジア人や、
グルジアの謀略に巻き込まれて捕虜となったアブハジア人にとって、
「帰れない」ということを納得できる理由もなにもない。
私と違って、彼らは自分の意志でそこへ来たのではないのだ。
「自業自得」の私ですらあれほど辛かったのに、
彼らの辛さ、悲しさはいかほどのものだろう。

私だったら、事実がねじ曲げられること、
隠されたり曖昧にされることが一番悔しい。
早いところ国交を正常化して、ビジネスチャンスを取りっぱぐれたくないという
日本政府の気持ちは分かるけど、どうかこの件はしっかり、
拉致や現地で亡くなるまでの経緯など、事実関係の解明に努めて欲しいなあ。