「ダモイ」(その1)

去年の12月、グルジア政府に隠匿され、拘束下におかれていた私が
帰国を認められたとき、
パンキシ渓谷で私を匿ってくれていた在グルジア・シャミル・バサエフ代理人
シャムスディンは、正確な事情を知らされていなかったらしい。
「お前はグルジア軍の検問所でグルジアKGB(国家保安省)に引き渡されるが、
 心配するな。
 トビリシで同志のA(チェチェン政府協力者・常岡の友人)が待っていて、
 お前をトルコ国境まで送る」
しかし実際には、トビリシで私はグルジアKGBからグルジア外務省に引き渡され、
そのまま日本外務省のS氏に引き渡されたのだった。
私の身柄に関する決定権はシャムスディン本人にはなく、
チェチェン政府国防大臣ハムザート・ゲラエフから
シャムスディンに伝えられていた。
ゲラエフはグルジア政府高官と交渉していたらしい。
S氏によると、私の帰国を決定したのはグルジアのメナガリシヴィリ外務大臣だ。
私のグルジアへの入国記録、ビザ申請・発行・延長記録などは全て抹消され、
グルジア政府は日本側の照会に対して、
「常岡に関する情報は一切ない」と虚偽の回答をしていたということから、
日本外務省はグルジアが私の抹殺を意図していた可能性があると
判断していたそうだ。
シャムスディンが私に、日本との国際電話による連絡をとらせ続けたことで、
グルジアが隠そうとした私の所在と安否に関する情報が
日本政府の知るところとなった。
シャムスディンに対して、私と日本との連絡を取らせるよう指示したのは
ゲラエフだと聞いている。
ゲラエフはグルジアの意図に反して私を帰国させようとしたのだろうか?

今更こんな話をするのは、朝鮮民主主義人民共和国北朝鮮)の
邦人拉致問題のニュースを見たからだ。
自分が見ていない、取材していないことに関して、
語るのはやめようと思っていたのだけど、この件は他人事と思えなかった。
拉致された人たちのうち、6人もがすでに現地で死んでいたということが、
ほんとうに悲しかった。
(その2へ続く)