獄中から発言するということ

98年にアフガニスタンマスード派を取材したとき、
彼らは捕虜収容所のパキスタンタリバン兵士を私に見せ、
インタヴューするよう勧めた。
捕虜たちは、「無理矢理連れてこられた」「戦わされるとは聞いていなかった」
「騙された」などと発言した。
私は記事にこのインタヴューを一切反映させなかった。
彼らは自由を奪われた境遇でそれを語ったからだ。
あとになって、週刊プレイボーイ山本美香氏が、ほぼ同じ内容の話を聞いて、
それをそのまま、写真付きで出していた。
マスードは、タリバンの実体はパキスタンであり、
タリバンとの戦いはパキスタンの侵略からアフガニスタンを守る防衛戦争だと
主張していた。
パキスタンタリバンの存在は、その説の補強に利用されていた。

ハワジが拘置所からファックスなどで情報を外部に出し始めたことに関して、
私とハワジパパの意見は食い違ってしまった。
元軍人である彼が、拘束された情況打開を目指して
戦略的に判断することは自然だし、
その過程で出てきたものをメディアに発表することが
彼の真意かどうか分からないと私は考えた。
一方、ハワジパパは、彼が「武器を持っていなかった」
「戦闘に参加していなかった」とメディアに強調することが、
ハワジの早期釈放につながるといって、
テレビのインタヴューで積極的にそれを喋った。
逆に、ハワジがチェチェンの仲間と礼拝している画像が
放送されたりするのを嫌った。

こうした中、グルジア入りした共同通信が、ハワジに電話で直接話を聞いた。(↓)
http://www.asyura.com/2002/war15/msg/368.html
チェチェンは(ロシアによる)武力侵略を受け、聖戦を戦っている」
と語ったという。
事実をありのままにいったまでだが、これはロシア政府はもちろん、
グルジア政府の見解とも、日本政府の見解とも相容れない。
仮に私自身がとらわれの身となって、供述を求められたとしたら、
はっきりと自分の立場を述べられるだろうか?
獄中でなお、自由なときと変わらぬ訴えを続けるとしたら、
それは信念といっていいのではないか。