ビスラン

ビスランという戦士は、ソ連邦時代に郷愁を感じているのだった。
共産主義に否定的見解を持っている私に、警戒するように、彼はいった。
「あの頃は、全てがうまくいっていた」
彼は空手の達人で、気功にも凝っていた。
チェチェン人が信奉するハジムリートというスーフィーの教義には、
瞑想が重要視され、それは気功にも相通ずるのだといっていた。
スナイパーとして、彼はチェチェン一時戦争から戦い続けてきた。
そして、神経を病んだという。
ビスランは自殺への衝動と闘い続けていた。
重い鬱病で、被害妄想も持っていた。
彼にとって、気功は健康よりも、
カルトと化して病気の進行に役立っているように見えた。
恐らく、神経を病んでいる戦士は他にもいたはずだ。
が、ビスランは独特だった。
彼は一種知的過ぎた。
チェチェン人は信仰心が強くないけれども、勇猛で果敢に闘う。
 それは死を恐れないせいだ。
 なぜ死を恐れないのかといえば、深い瞑想によって、
 生死を超越する境地を体得しているからだ」
ビスランはいつもそういったが、それはチェチェン人一般のことではなく、
ビスラン自身のことだったに違いない。
ビスランは次の遠征で「死のう」と決めている。
もう生きることに疲れたのだそうだ。
でも、私はビスランが「へっへっへっへ」と笑うところが好きだ。