知る義務

「俺たちには、知る権利ではなく、知る義務がある」
と、久保田弘信さんはいった。
平和出版のオフィスで、写真家の久保田さんは編集の三島さんと一緒に、
アフガニスタンの写真集の編集作業をしていた。
テーブルの上には小さなポジフィルムがあり、
瀕死の弟を抱えた幼い姉の姿が写っている。
夥しいポジに写っているのは全て、アフガニスタンの子どもたちだ。
久保田さんはこの5年間、ひたすらこの子たちの姿を追ってきた。

そうなのだ。
アフガニスタンで起こっていることに関して、
私たちは人道主義の観点から援助をするべきなのではない。
私たちの中の誰一人、人道を語る資格はない。
現在続けていることを即刻停止し、
謝罪し、賠償し続ける責任があるだけだ。

大量殺戮は、米軍が始めたわけではない。
ずっと前の99年から国連が始めていた。
経済制裁という名目で、この世界最貧国に意図的に飢餓を引き起こし、
数千の子どもたちを組織的に凍死・餓死させた。
経済制裁を科せばそうなることを予測した上で、
それを制裁効果として期待して、
国連という組織の決定として行ったのだから、
組織的無差別大量殺戮(ジェノサイド)以外の何ものでもない。
同じことは現在イラクでも行われている。
米軍は私たちがやってきたことを踏まえて、世界市民の総意に従って、
それを今度は経済的にではなく、軍事的になぞり、
安心して殺戮事業の総仕上げをやっているところだ。
殺人者はニューヨーク9・11事件首謀者であったり、タリバンであったり、
北部同盟であったり、ブッシュであったり、米軍であったりする以前に、
私たちだ。

「知らなかったことは罪ではない」と主張する人もいるだろうが、
日本人は基本的に、努力さえすればアフガニスタンでのことを
知りうる立場にあった。
知っていた人たちの中で、この事態をくいとめるべきだと考えていた人たちは、
私もあなたも含めて、全員が惨めに敗北し、殺人者の軍門に降ったのだ。

私たちは今すぐに私たちが犯してきたことを知り、
殺人者であることをやめ、個人の責任として殺人実行者を裁き、
処罰することで、罪を精算しなければならない。
その上で、被害を受けた子どもたちに償ってゆかねばならない。
こういうと私は論理上、ブッシュや米軍に死刑を宣告することになり、
彼らへの攻撃を肯定することになるが、それで上等だ。