聖戦ごっこ(その1)

パレスチナに戦争はないし、パレスチナで起こっていることの全ては、
ヤラセ、お祭り、或いは冗談である――
といったとしたら、ブーイングの嵐に見舞われるであろう。
でも、事実だから仕方がない。
予定調和で行われる真剣勝負なんてあり得ない。
予定通りの出来事でありながら、一人でも死ぬと即世界中に伝えられる。
人の命の値段が世界中でもっとも高い地域だ。
ちなみに人命が一番安いのは、
チェチェン人やアフガン人、コンゴ人、アンゴラ人だろうか?

戦争というのは、当事者の利害の衝突するところに発生し、
当事者それぞれの描く近い将来の予定像が正反対であるのが通常だ。
というのはそれぞれが自分側の軍事的勝利を目指すものだから。
これに対して、パレスチナで起こっていることは、
パレスチナイスラエル双方の予定が完全に一致している。
パレスチナ側は自分たちの「インティファーダ」での行動の結果、
イスラエル側がどのように反応するか、知り尽くしているし、
イスラエル側も報復攻撃に対してパレスチナ人がどう反応するか、
十分わかっている。
理解した上で、敢えて全力を傾けず、抑制された暴力を行使しあっている。
パレスチナ側の攻撃に対して、イスラエル側の報復が過剰だと
先進国の多くが非難しているが、これも当然のこと。
イスラエルは国力において圧倒的にパレスチナに勝っているので、
それに比例して抑制されたまま大きな力を行使できるのだ。
不気味極まりないのは、こんなやらせ、お祭り、冗談で、
実際に人が殺されてゆくことだ。
ラマッラの市民も、ヘブロンの市民も、
またそこに隣接する入植地の市民とイスラエル軍の兵士も、
その日そこでなにが起こり、どれくらいの人が負傷し、
或いは死亡するかをほぼ正確に予知している。
予定通りの時間に予定通りの場所で、
報道機関が待ちかまえている前で暴力が行われ、予定通りに子どもが殺される。
そして予定通りの時間に終わり、
次に同じことが起こる時間と場所も皆が知っている。
まるで劇場だ。
死者は舞台装置、或いはお祭りの山車といったところだ。
(続く)