聖戦ごっこ(その2)

もっとも、このようにお互いが本当のところでは冷静なまま
暴力ごっこを続けているお陰で、
第二次インティファーダの犠牲者はわずか450人に留まっている。
全体としての死亡者数を減らすために、本気の対決を避けて、
それでいてパレスチナ側にとってはイスラエルへの抵抗、
イスラエル側にとっては治安対策をとっているという
ジェスチュアを示すための「見本」「対外宣伝用」「見せ物」
としての合意・妥協上の死者だ。
仮に、子どもが殺されることがないように、パレスチナ当局が自治警察を使って
イスラエル軍からの市民保護に乗り出したりすると、
衝突は軍事的なものになって大規模化し、死者数は跳ね上がることだろう。
ムハンマド・ドッラくんもイマーンちゃんも、
死者総数を減らすための生け贄だというわけだ。
パレスチナ側は市民が殺されたことを世界に伝えて、
イスラム教徒の同胞意識や世界市民の反イスラエル感情を煽りたい意志がある。
そのネタとしては、いたいけな子どもの悲劇の方がより効果が大きい。

パレスチナで実質的な「解放闘争」は行われていない。
インティファーダはきっと、みんなの心の中だけにあるもので、実在しないのだ。

国際政治学者が中東情勢を語って、
マニアの空想の世界を満足させるならいざ知らず、
私たちがこうした現実を語らぬまま「衝突」の写真を撮って雑誌に載せるのは、
当事者たちのヤラセに加担することでしかないし、
百害あって一利なしというものではないか。

少なくとも、これまではそうだった。
しかし、事態は今少しだけ変わりつつある。
予定通りでない事態が訪れ、さらにその先の予定が分からなくなったとき、
現地へ向かうべきかも。