他山の石

しかしまあ、「2ちゃんねる」の厨房諸君がいってることも、
些末では当たっているところがあるのだ。
イスラム世界は実際、戦争だらけだ。
イスラム世界は遅れた地域だらけだ。
イスラム世界で人権が守られているところは皆無に近い。
ある意味、世界でもっともイスラム的でない地域が
イスラム世界だとさえいえる。
イラク北部で話したクルド人の青年はいった。
「おれはモスレムってことになってるけど、
ホントはアッラーを信じていないんだ。イスラムは戦争の元だ。
イスラムそのものにきっと、問題があるんだ」
リビアで会ったエジプト人出稼ぎ労働者の若者はいった。
「アラブ人は頭が悪い。おれはアラブ世界を出たい。
イスラム世界を離れたい。ヨーロッパかアメリカで学びたい」
歴史的に見たときに、イスラムは常に迫害者よりは被迫害者に近く、
他教徒よりも異教徒や社会的少数派に寛容で、
他教との支配する地域よりも平和で、
時期によっては文化も科学技術も進んでおり、豊かであった。
その理由として、歴史学者たちはイスラムの教義や出自、
イスラム世界を取り巻いていた社会的背景を挙げる。
現代、変わったのは社会的背景だけだ。
環境が変わっただけで、世界のモスレムはすっかり堕落してしまった。
モスレムは「イスラム」「イスラム」と口だけで言ってないで、
実績を示さなければならない。
そうでなければ、日本で「イスラムは平和的です!」なんていったところで、
説得力ゼロである。
実際、私がシャハーダする前、パキスタン人には散々
イスラムを押し付けられたが、
私は「どうしてお前たちを手本にする理由があるものか」と
彼らをからかったものだ。
イマーンだけでなく、イバーダットが必要なのだ。
聖戦と称した私戦・迫害、イスラム制と称した専制、ダワアと称した強制、
シャリーアと称した私刑、喜捨と称した搾取・不正蓄財――
こうしたものを見分けなければならない。