新しいイラン、古い戦争

イランから帰国したハイパープランツ社長川人さんらと
六本木のイラン料理店アラジンで食事した。
私がイランを訪れたのは93年だが、今ではすっかり変わっているらしい。
街ごとに拘束され、宗教警察、治安警察、革命防衛隊と順繰りに
尋問を受けた当時のようなことは、今はあり得ないそうだ。
若い男女は警察官の前でも手を繋いで歩いているという。
日本や欧米の女性旅行者の穴場的観光スポットになりつつあるらしい。
当時、北西部のクルド人たちはクルド民主党というゲリラ組織で
独立を求めてイランの革命政府に抵抗していた。
私は滞在中のほとんどの期間を彼らとともに過ごした。
イランのクルド人はトルコやイラクよりもずっと
伝統をよく守って生活しており、生活は困窮状態なのにもかかわらず、
客として訪れた私を至る所で歓待してくれた。
イラク国境地帯の村々には地雷が埋設され、
夜になると激しい戦闘が繰り返されていた。
思えば、最初に地雷原を歩いたのはあのときだった。
怖かった。
友だちになったゲリラのメーディは、自分のことを無神論者だといった。
イラン兵を処刑したときの話も聞いた。
元司令官アリ・オワイシはすごいハンサムだった。
ゲリラという言葉のイメージがどうしても合わない、
静かで優しい目をした男だった。
戦闘中、目の前で親戚の若者が殺されたときの話を聞いた。
その後、私にはイランを訪ねる機会がなく、
イランへ向かう友人がいるたびに、私は彼らに
クルド人の住むコルデスタン州と西アゼルバイジャン州のようすを尋ねた。
しかし、これらの地域を訪問した友人はいなかった。
最近になって、キアロスタミやサイダ・マフマルバフといった
イランの高名な映画監督がクルド人の村を舞台に映画を作った。
映画が製作されるということは戦争は終わったのだろうと私は理解した。
川人さんとともに、イランを訪れた面々によると、
今やイランに戦争などないそうだ。
彼らはどうしたのだろう。