戦場にこだわりたい(その1)

グレート大先生今岡昌子カメラマン宅で、
東長崎機関サバトが開かれた。
本来は朝日新聞記者大崎総統率いる
「マグナムfor アフリカジャパン」の第一回会合の
はずだったのだけど、
うんぺー西牟田靖は来ちゃうし、
総裁加藤健二郎さんは来ちゃうしで、
真面目な話し合いはちょっとしかせずに
東長崎的バカ話で盛り上がって、
収拾が着かなくなってしまった。
アンゴラ内戦を取材してMSF賞を取った渋谷敦志さんと
初めてお会いした。
まだ25歳の若さ、しかし写真はすげいすげい。

渋谷さんや大崎総統、加藤総裁、
リアルタイムプレス・アフリカの下村さんらの
話を聞いているうちに、
自分の仕事について考え込んでしまった。

私は戦闘現場の取材にこだわりたい。
中学生の頃夢中で読んだ本多勝一氏は
今では街の変なおぢさんみたいになってしまって、
感心より笑いが先に立つのだけれど、
それでも一点、変わらず共感できるところがある。
「紛争ルポに前線取材がないのはおかしい」
という彼の持論だ。
戦争の問題の中心は難民キャンプにではなく、戦場にある。
もっとも深刻な状況にあるのは、
殺戮からの脱出に成功した人たちではない。
行う側、受ける側を問わず、
殺戮の真っ只中にいる人たちだ。
問題の核心部分を避けて、周辺部だけを取材するのは
ただの逃げだ。
難民キャンプや被災地あとの取材は簡単だし、
一見悲惨で可哀相な人たちの写真が容易く撮れる。
しかし、それは戦争という問題の本質ではないから、
それを最大肝心なことであるかのように
吹聴するジャーナリストを私は馬鹿にしている。
同じ意味で、更に極端なケースとして、
殺戮と餓死が続くアフガニスタン
仏像破壊の是非について発言したり取材を発表したり
するつもりは私には毛頭ない。
それは醜悪で恥知らずな行為だ。
大量殺戮が行われた直後のバーミヤンで、
家族を失ったハザラ人の老人に
「誰が仏像を壊したのか?」と私は聞く気になれなかった。
(続く)