ひめゆり

朝から晩まで雨が降り続いて、この日も海へ行けなかった。
私たちはひめゆりの丘へ行った。
ひめゆり平和記念資料館は壮絶な記録の場であった。
私は戦争をテーマに取材していながら、
実は取材対象として軍隊同士のぶつかり合いにはさほど興味がない。
暴力に興味があるので、軍事に興味があるわけではないからだ。
個人として存在しないかのように、命令通りに動く軍隊は、
暴力的な存在としての人間の行動を見て行く上で今一つ面白くない。
汚くいえば、もっと意外性やバラエティが欲しい。
ひめゆり」たちは15歳から18歳程度の普通の少女たちであった。
受けていた教育以外は、現代の渋谷や池袋のコギャルたちと
恐らくほとんど変わらないであろう。
それが戦場の真っ只中に投げ出され、絶望的な戦いを強いられた。
資料館の壁には、死んでいった少女たち一人一人の顔写真と、
死んで行くまでの状況が細かに記載されていた。
映画「バトルロワイアル」みたいだが、
こちらは現実で、映画よりもすさまじい。
あるものは手榴弾を抱いて自決し、
あるものは米兵に「殺せ」と詰め寄って射殺され、
あるものは「敵中突破する」といって
地形を変えるほど激しい砲弾の雨の中に飛び出したまま消息を絶ち、
そして大勢が、戦場を当てもなく彷徨した挙げ句、
なにもできないまま、腸をえぐられたり、
脚を吹き飛ばされたり、
毒ガス弾で窒息したりして、無残に殺された。
私は冷徹な観察者になろうとしたが、
壁の記録を読んでゆくうちに何度も頭が真っ白になった。
自分がアフガニスタンの砲撃戦の中にいた時がフラッシュバックして、
足が震え出した。
当然、それよりずっとひどい現場だったのだ。

閉館時間までそこにいて、そのあとレンタカーの中で
一時間ほど眠らなければ、夕食を食べに行けなかった。
頭が疲れ果てていた。