エリトリア・キリングフィールド

◆シェルコ・エリトリア通信

7月7日Electronic Telegraph

漂う死臭は、そこがアフリカの数ある戦場の中でも
一番血みどろの最前線であることを示していた。
ツォロナのエリトリア軍の塹壕
エティオピア兵の死体に囲まれていた。
塹壕の後方には、敵の兵士を埋めた盛り土で
長い土手ができあがっていた。
所々の泥の中から足が突き出ていた。
前線の地雷原では、数え切れぬほどの
エティオピア兵の死体が腐敗して横たわっていた。
時折、並んだ白い歯が太陽の光にきらめいてさえいた。
周囲にあるものすべてが戦争で破壊されていた。
砲塔部分を吹き飛ばされた戦車が
ブッシュの中に転がっていた。
空の薬莢と弾倉でできた絨毯は踏むとじゃりじゃりと鳴った。
榴散弾は溶けて捻じ曲がっていた。
点滴の管、ゼリーの空缶、靴や携帯ラジオも転がっていた。
100ヤード先に見える木々は枝がほとんどなくなっていた。
しかしこの荒れ果てた戦場で、
鳥が軽やかに囀っているのだった。
塹壕エリトリア兵たちは周囲を埋める異形のものを
忘れ果てているかのように見えた。
ラジオから流れる音楽と男女の笑い声(エリトリア軍では
両性がコンバットユニットに組み込まれている)が
聞こえていた。

ツォロナの大虐殺は今年3月、エリトリア軍が
エティオピア軍の攻撃を食い止めようとした
激戦の中で起こった。
エリトリア軍側の話では第一次大戦中を
思い起こさせるような凄惨な戦闘だった。
機関銃の一斉射撃の中、兵士たちは地雷原を
突っ切って進撃してきたのだ。
攻撃が始まって3日目、重火器と戦闘機に
支援されたエティオピア軍は遂に最前列の塹壕を破った。
しかし、第2列の塹壕で食い止められた。
エリトリア兵テスファマリヤム=エリヤス(27歳)は語る。
「大虐殺でした。敵は私たちに向かって突進してきました。
銃ではなく、棒を持っているものもいました。
後ろからエティオピア軍の司令官が彼らを撃っていました。
エティオピア軍は同胞の死を気に掛けないのです」
エリトリアはツォロナの戦闘で、
10000人のエティオピア人を殺害、
戦車57両を破壊、20両を捕獲したと発表した。
味方の死傷者数については明らかにしていない。
両国の宣伝合戦の中で事実は分かり難いものの、
ツォロナの戦闘がエティオピア側が発表している
些細な「小競り合い」よりも重大なものであったことは
明らかである。