瞬間・観世音菩薩

昨日の顛末を先に説明する。
私は写真店の主人が英語を話すので、早口になって自分の立場を訴えた。
理屈を説明したのではない。
私はモスレムとして、いかに同胞のジハードを見届けたいと思ったか、
にもかかわらず、このような扱いを受けていかに失望したかといった話を、
腹立たしさにまかせてぶちまけたのだ。
これを、主人と客の一人は無条件に信用してくれた。
私を連れてきた中年男を説得して家に帰し、私のフィルムを返した。
私を支持してくれた客はパレスチナ人のジャーナリストで、
名を他でもないジハード氏といった。
彼は私をタクシーでパレスチナ情報省へ連れて行ってくれ、
お陰で私はその場でプレスカードを発行してもらった。

衝突現場に戻ってカードを見せると、若者たちは歓声を上げて迎えてくれた。
私を捕らえた男も戻っていて、カードを見ると右手を差し出して謝罪し、
仲直りを求めた。
仲直りのしるしなのか、持ってきた弁当まで振る舞ってくれた。
催涙ガス弾とゴム皮膜弾が舞う衝突現場で、
私たちは岩の陰でホムスの弁当を平らげた。

そして、翌1月1日。
ラマッラでは数千人規模のデモがあった。
ファタハが主催したデモの参加者は、カフィーヤを顔に巻き、
往年のパレスチナ・ゲリラのいでたちで町を練り歩いた。

デモの後の投石には、昨日よりも多くが参加した。
イスラエル側は、昨日よりも多くの催涙ガス弾を撃ち込んできた。
直撃を食らった若者の一人が、呼吸困難に陥って、
のた打ち回って苦しんでいる。
風上にいれば大丈夫と、高を括っていたら、
風向きが変わったほんの一瞬、白い煙に触れた。
消毒剤の臭いがし、同時に肺の中が焼けるように熱くなった。
涙がこぼれる。
後方に逃げ込んで咳き込んでいたら、
欧米人の女性ジャーナリストが脱脂綿を一掴み、
私に差し出した。
「使いなさい」
目に当てると、化粧水の匂いがした。
地獄に仏とはこのことである。
その瞬間、私はこの30代半ばと思しきブルネットの女性記者に
ほとんど恋をした。