兄の左手

朝七時に起きて、MSのバイクに跨るが、エンジンが掛からない。
後で聞くと、始動時の手際の悪さのせいで、
プラグがガソリンで濡れたのが原因で、
故障ではなかったそうなのだが、
このときはバッテリーが弱っているのだと思った。

仕方なく、列車で三木市へ向かう。
三木市では兄に会う。
兄はダウン症で、知的その他の障害があり、
長崎県瑞穂町の心身障害者厚生施設に入所している。
施設内の乗馬場で馬を飼育しながら、
障害者の乗馬療法の一環として、乗馬を学んでいる。
今年、全国障害者乗馬協会の競技会が兵庫県三木市であり、
兄は施設からの代表選手の一人として
前日から三木市を訪れていた。

午前九時の開会式に間に合うつもりでいたのに、
私が会場に着いた頃は正午を回っていた。
兄は屋内馬場の観客席で母の隣に座って弁当を食べていた。
二年ぶりに見る兄はいっそう小さくなったようだった。
お茶を飲もうとする左腕が細かく震えていた。
麻痺が起きている。
以前、こんなことはなかった。
兄の命の働きは少しずつ、しかし健常者に比べると異常に早く、
衰えている。
赤く腫れ上がった両手をしきりにこすっている。
しもやけだ。

中学生ぐらいの時まで、兄はよく笑い、よく喋る子供だった。
今は黙っていて、話し掛けても返事の声は蚊が鳴くように小さい。
私より2つ上の33歳だが、兄を診た医者は
60代のような筋肉の衰え方だといった。
ダウン症は知的障害だけでなく、
内臓を初め、身体の至る所に障害が現れる。
子供の時、兄は20歳まで生きられないだろうと診断を受けた。
後になってそれを聞いた小学生の私は
大声で泣いたことを覚えている。

MSに借りたNIKONの一眼レフで競技を撮り、
午後4時半頃、今日の種目は終了。
兄が乗った馬は機嫌が悪く、
競技中ストライキを起こしたりして
テクニックどころではなかったが、
兄は評価を気にするでもなくそれを面白がっていた。
宿舎へ引き上げ、兄と風呂に入る。
一緒に風呂に入るのも2年ぶりだ。
見る度に、兄の体は痩せて小さくなっていくようだ。

いきなりこう書くと理解してもらえないと思うが、
兄の存在は、私にはやはり奇蹟以外のナニモノでもなく、
兄と出会ってしまった私は
やはりモスレムになるより他に道はなかったのだ。
アッラーは偉大である。

※いろいろ思い出したので、今年4月20日のモスクワでの日記を「過去の日記」に書き加えた。