エチオピアのダメ人間(その6)

ハヤロムは私の尋問を終えると、その後の手続きを説明した。彼らは私をあらためてアジスアベバへ押送するため、交通機関を手配する。恐らく、明日マイチョウを通過するマカレ発アジスアベバ行きのバスを停めて、私の席を確保することになるだろう。それまでの一晩、私はマイチョウで過ごさなくてはならない。街を歩いてもいいが、遠くへ行ってはならない。
彼は私をホテルへ案内した。10ブル(8ブル=1US$)という安さだが、清潔な毛布のついた明るいダブルベッドの部屋だ。それから、近くのレストランへ連れて行き、山羊の肉の炒め物とインジェラ(テフという穀物の粉を発酵させて焼いた酸味のあるクレープ状の食物。エティオピアの主食)の昼食をご馳走してくれた。
一方私はすっかりしょげきっていた。取材は完全に失敗したのだ。押収されたフィルムには、戦車だけでなく、アクスムの街に集結していた民兵集団の写真などもあったはずだ。
ハヤロムは食事を続ける私を凝視しながらいった。
アジスアベバに着いたらどうする?」
「また前線へ向かいます」
「君はパーミッションを持っていない。それは無理だ」
「何とか、方法を探します」
「なぜ前線へ行きたい?」
「日本では誰もこんな戦争があることすら知らないからです」
私はやや自暴自棄になっていた。取材に失敗した悔しさをハヤロムにぶつけようとした。
「エティオピアほどジャーナリストにとって不自由な国はありませんよ。パーミッションなんて、誰も取れはしないんだ」
「現場の安全が確保されれば、パーミッションは出るはずだ。出ないとすれば君たちの身の危険を考えてのことだ」
「ジャーナリストは必要なときは前線に行かなくちゃいけないんですよ。誰かのパーミットがあるなしに関わらず」
これはまずかったかもしれない。ハヤロムの顔が強張った。彼の怒りが伝わった。
パーミッションがなければ、前線にはいけない」
それだけいって、ハヤロムは席を立った。
ホテルのベッドの中で、私は恐れていた。さっきの言動が元で、私は本格的に監禁されたりはしないか。私はパキスタンのスパイかもしれない男でもあるのだ。