エチオピアのダメ人間

「全く困った男だ」
警察署長ハヤロムは、私を事務所の入り口に座らせると、隣の交通官ソロモンの方へ顎をしゃくった。エティオピア北部ティグレ州のマイチョウで、私はアジスアベバ行きのバスからひきずり降ろされ、ハヤロムの前に引き立てられたところだった。
一九九九年七月、私はエティオピア・エリトリア国境紛争を取材しようと、エティオピアのティグレ州を訪ねていた。前の年の五月、独立後わずか五年しか経っていなかったエリトリアは、イタリアの植民地時代に引かれた国境線の確定をめぐって、当時エティオピア政府が事実上領有していた国境の村バドマに侵攻し、両国の間に戦争が始まった。それから一年余りの間に両国の死者は数万人に上ったらしい。が、実際は良く分からない。
どんな戦争が続いているのか、誰も見たものがなかった。両国とも、「敵兵を10万人殺した」と発表している。三十年続いたエリトリア独立戦争の死者でさえも、65000人にとどまるというのに。日本ではこの一年の間に二度か三度、国際面の新聞記事で伝わっただけだ。ここに戦争があること自体、どれほどの人が知っているだろう。
「誰も知らないことなら私が伝えよう」と、意気込んで激戦地バドマを目指したものの、入国後1週間にしてバドマの手前の観光地アクスムであっさりと警察に拘束され、パスポートを押収されたまま軟禁生活が続いていた。アクスムからティグレ州の州都マカレへ送られ、尋問また尋問。ホテルの滞在は許されるものの、始終警察官の監視を受けていた。
そして今朝、マカレから首都のアジスアベバにローカルバスで押送される間に、私は警察官がいなくなったものと勘違いして、ローカルバスの窓からトレーラーに載せられて運ばれてゆく戦車の車列をポケットカメラにおさめ、たちまちにして人民情報局(PI)と呼ばれるこの国の秘密警察らしい男に取り押さえられたところだった。