ニュースの意味

「よくいるんだよね。こういう戦闘シーンを撮ってきて使ってくれなんていうの」
東京――ある大手テレビ局の看板報道番組のデスクは私が撮ってきたアフガニスタンのVTR映像を見ながらいった。画面には空爆で死んだ戦士がロバの背に乗せられて運ばれて行くカットが映っていた。
「で、この戦争にどんな意味があるの?ニュースとして」
これ以上話をせずに帰ろうという衝動をおさえながら、私は説明した。
イスラム政治運動―いわゆる『イスラム原理主義』グループ同士の全面対決の図式となった戦争は世界の歴史に例がないのです。イスラム政治運動は本来国際主義を志向しているから。近年イスラム回帰を志向していたイスラム世界の人たちにとって、この戦争は目前に見えていたはずの理想の破綻なのです」

本当はそんなことはどうでもいいと思っていた。人が殺し合っている現場がニュースでないはずがない。戦争にニュースとしてどんな意味があるのかという質問自体、この男がクズである証拠だ。しかし、殴り付けて出て行くどころか、口に出していうこともできずに、私は「営業」に専念した。――『イスラム原理主義』なんてアメリカがディスプロパガンダのために作った実体のない造語は使うべきでない――と信じている私が『原理主義』を連発して歓心を買おうとしていた。しかし、このデスクからは「一週間後に返事をする」と告げられ、のちに没を食らった。