サバウーン 3

うーん。ヒズビ・イスラミの中でアルガンディワル派が排除されたっていう
わけでもないそうです。ただ、最近になって主流となり、党首の地位に
収まったのはサバウーンで間違いありません。
アルガンディワルとサバウーンの路線が正反対に近いのも間違いありません。
アルガンディワルはタリバンと和解を目指していたが、サバウーンは対決です。
これはカルザイ政権の姿勢にも影響してくるんじゃないかと思います。
ぼくの事件について、サバウーンがいつ、ラティフの関与に気づいたのかは、
結局よく分かりませんが、アンサリ氏は「彼は君の解放に貢献したかのように
語っているが、なにもできなかった」と、声を潜めて語りました。
サバウーンとラティフはあまりにも近い関係にあるはずですし、ラティフの
兵士たちも、支配下の住民たちも一様にサバウーンを英雄視していたにも
関わらず、ラティフの行動に影響を与えることができなかったというのです。
カルザイが来日し、ぼくの誘拐事件に触れて、「数日のうちにいいニュースを
お届けできる」と、語ったとき、彼は何らかの情報を持っていたと考えられ
ますが、このときぼくの身柄をおさえていたのは、紛れもなく、ラティフ
直属の主要司令官アブドルハリムでした。
ぼく自身は、「サバウーンになにもできなかった」というのは、むしろ、
自分の部下が起こした事件と分かったからこそ、なにもできない立場に
陥ったのではないかと考えています。事件がラティフの仕業であることを
知っていたのは、ぼくとラティフ本人たちだけではありません。
ラティフはイマームサヒーブのタリバンの手から銃を持ってぼくを奪い
ました。タリバンは知っていたし、ぼくをサポートしてくれていた友人の
一部も知っていました。
ですから、アフガン政府は、ラティフ部隊ではなく、事実を知っている
タリバンと交渉する必要に迫られたはずなのです。
ぼくをサポートしてくれた友人は、ぼくの解放のため、動いてくれていた
ようですが、アフガン諜報機関に何度も拘束されては、尋問と称して
事実上の脅迫を受けました。友人本人がアフガニスタンを出国したあとは、
その家族が同じ目に遭っています。なぜか?彼らが不都合な真実を知って
しまったからです。