9年前の記事

2001年12月に毎日新聞に掲載された以下の記事は全部ウソの虚報です。

【モスクワ石郷岡建】タス通信は7日、今年7月中旬からグルジア北部で武装グル
ープの人質となっていた元長崎放送記者でフリージャーナリストの常岡浩介さん(32)
長崎県島原市出身=が約5カ月ぶりに解放されたと報じた。
グルジア当局によれば、常岡さんはトルコからグルジアに非合法にわたり、さらに
ロシア南部チェチェン共和国へ向かった。しかしグルジア北部のパンキシ渓谷で所属
不明の武装グループに捕まり、同地域からの脱出を禁止されたという。
グルジア治安当局は7日の救出作戦が成功したと説明している。常岡さんは同日夜、
首都トビリシに到着し、グルジアを管轄する在アゼルバイジャン日本大使館関係者に
引き渡された。「とにかく家に帰りたい」と語っているという。
常岡さんは10月30日、島原市に住む父、武久さん(62)に、「20キロやせた
が、ケガも病気もしていない。安全な場所にいる」と連絡していた。(毎日新聞

石郷岡記者は当時、モスクワで取材されていたようですが、日本でぼくと直接を取っていた協力者や家族、そしてバクーの日本大使館や外務省へは取材せず、「ウラを取る」という、基礎的な作業を怠っていました。
事実はどうだったのか?この年の10月末から12月初めまで、一ヶ月間以上にわたって、ぼくの身柄をパンキシ渓谷に抑留していたのは、グルジア政府そのものでした。当時、バクーの日本大使館にいらっしゃったS一等書記官が、独自の人脈を駆使して、この事実を突き止めた上、自らグルジアの首都トビリシまでぼくの身柄を引き取りに来てくださったのです。
ぼくを違法に抑留している事実を突きつけられ、身柄の引き渡しを要求されたグルジア側は、内務大臣を更迭し、外務大臣の決裁で、ぼくの解放と出国を認めました。
石郷岡さんは国際犯罪の犯人から直接、事実関係を聞いて、そのままデタラメの言い分を垂れ流したのです。
ぼくはグルジアに非合法に渡ったことはないし、このときはチェチェンにも向かっていませんでした。事実はグルジア正規軍が支援したチェチェンゲリラによるアブハジア侵攻を従軍取材していたのです。その、国際法違反の事実を目撃されたことがグルジアにとって不都合だったために、どうやら、グルジア当局から暗殺される寸前だったということのようです。