アブハジア侵攻の裏に

今、トビリシの空港で離陸を待っています。さっきまで、グルジア人ジャーナリストに会って話を聞いていました。2001年のゲラエフ部隊とグルジア「森の兄弟」によるアブハジア侵攻作戦についてです。
あのとき、作戦から帰ったぼくは一ヶ月間、パンキシの村に軟禁されました。グルジア政府は「常岡の所在、生死は知らない」と、日本政府に嘘をつき、ぼくの入国記録からビザ延長記録まで、すべて抹消していました。情報を抹消していたということは、ぼくを生かして返すつもりがなかったということです。
最終的にチェチェン人がぼくを日本大使館と連絡を取らせてくれ、グルジア外務大臣決済で、帰国が実現しました。
グルジア人ジャーナリストに聞いたのは、ゲラエフと共に作戦を指揮していたコドリ渓谷のグルジア政府側知事でスワン人が、事件後、ロシアに亡命したというのです。チェチェン人と一緒に、ロシア軍を敵として戦っていた男がです。
さらに、ぼくの帰国の直前、シェワルナゼは当時の内務大臣を更迭しました。その人物もまた、のちにロシアに亡命しました。当時の国家保安大臣(グルジアKGB)ものちに亡命しましたが、彼の所在は不明だそうです。
どうして、ロシア軍を攻撃する作戦の責任者3人のうち2人までが、当のロシアに亡命することができるのか、あまりにも不自然だというのです。
ジャーナリストは「知事と大臣らはおそらく3人とも、ロシアのエージェントだったのだろう。作戦自体がFSBグルジアに対する信用失墜作戦だったのだ。シェワルナゼとゲラエフは罠にはまったのだ」といいます。
あ、ボーディングです。あとで、また書きます。