リトビネンコ殉職

リトビネンコが死んで悲しいけど、どうやって仕返しをすればいいか、
分からない。
せめて、彼が語ってくれた言葉を、少しでもみんなに伝えたい。
さるさる日記は1000文字しか書かせてくれないので、こちらにアップ
してみた。
http://www.geocities.jp/shamilsh/litvinenko.htm

今、読み返してみると、彼は本当にすごい話をしている。
ぼくは彼に会ってから、秘密警察に支配されるロシアの実態を
もっと知りたいと思った。
彼の口を通して、秘密警察の暗部を書いてはいたが、その実、自分では
一度として、秘密警察そのものに取材していないことを後ろめたいと
思った。
そこで、協力してくださったある大手メディアには申し訳なかったけれど、
あのとき、初めからFSBに捕まってみるつもりで、現地へ赴いた。
ただし、裁判まで受けるとは思わなかったし、ほんとに彼らが
「ただ、そこにいった」というだけのぼくを犯罪者に仕立て上げることが
できたということも、まるで予想外だった。

リトビネンコは、自分の身の危険をよく分かっていたんだろうと思う。
ぼくの方は、彼がやられた今になって、彼らのむごたらしさを思い知った。
たぶん、ぼくも自分で思っていたよりも危険だったのだろう。

リトビネンコについて、ぼくがえらいなあと思ったのは、彼はスパイとして
生きてきた男でありながら、語る内容に関して、何が大事なのかと
いうことに関し、歪んだところがさっぱり見えないことだ。

警察官と話をすると、彼らの独特の、他の世界では通用しない価値観に
気づかされることがある。
彼らにとってはまず、組織が大事で、次に犯罪者を取り締まることが、
最後に人を守ることが大事だったりする。

メディアの人たちと話をすると、やっぱりぼくは彼らの妙ちきりんな
世界観に、いつもうんざりしてしまうことになる。
99年に初めてチェチェンを取材したとき、ビデオテープを日テレに
持ち込んだ。
ロシアと旧ソ連担当という女性記者が出てきたので、ぼくは撮ってきた
ばかりの残酷な戦場の映像を見せ、状況を説明した。
ぼくがひとしきり話してしまうと、彼女はいった。
「なぜ、今、チェチェンなのかが問題ですよね」
これは、「なぜ、今、チェチェンで戦争が起こったか」という意味では
ない。「なぜ、日テレが今、チェチェンのネタをやる必要があるか」
という意味なのだった。

たぶん、これを聞かせたらリトビネンコは大笑いして、ぼくを哀れんで
くれるだろう。