墓参

午後1時半頃、母と近所のMさんと3人で、島原市の家を出る。
車で長崎市へ。
祖母の墓参りに行く。
母の母親、つまり私の祖母に私は逢ったことがない。
私が生まれるずっと前に亡くなっていたからだ。
今年は彼女の50回忌だ。
50年前、母がまだ小学生だった頃、祖母はたったの3日間
寝込んだだけで死んでしまった。
何の病気だったのかもよく分からない。
戦後の混乱期だった。
母の一家は上海の租界に住んでいたが、敗戦とともに
日本に引き揚げることとなった。
母の父は仕事のため帰国が遅れ、母とその姉、妹、祖母の、女ばかり4人で、
一足先に日本へ引き揚げ、医療や衛生条件の整わない時代を過ごした。
祖母が女手一つで娘三人を育て、生活していたのだが、
その中で母の姉が病死した。
祖母が姉の死の床で、泣きながら「死なないで」と呼び続けた声を、
母は覚えているという。
祖母の長女、つまり母の長姉は1932年に疫痢で亡くなっていて、
この日亡くなったのは次女だった。
祖母は自分の娘4人のうち2人までもを、目の前で失ったことになる。
女性として、家庭人として、実に淋しい人生であったろう。
その祖母もまた、やはり混乱期の終わらぬ1954年に、母の目の前で死んだ。
祖父はのちに再婚したが、私にとっては義祖母に当たる祖父の後妻を
私は「おばあちゃん」と教えられて育った。
自分の実の祖母が別にあったことを知ったのは、大学生の頃だったか。
墓参りというものにはしばしば行ったが、私の意識の中では、
自分の知っている親類の墓参りであって、私の実の祖母たる
その女性の墓参りというものはしたことがなかったということになる。

台風が近付く中、浄安寺の境内では強い風がマッチの火を吹き消し、
線香にはなかなか火がつかなかった。
それでもようやく、母の分と私の分、合わせて二本の線香に赤い火を点し、
それを手向けて私たちは祈りを捧げた。
浄安寺は浄土宗の寺だが、プロテスタントの母はおそらく
キリストの御名によって、
イスラム教徒の私はアッラーの名の下にドゥアーを。

50回忌にしてようやく、私にとっては初めての
実の祖母を偲ぶ墓参りができた。