シャリアーティー
アリー・シャリアーティーはサルトルの他、マルクスの影響も強く受け、
「イスラムの外見をした共産主義」という言い方をされたが、不可解だ。
マルクスの宗教理解の幼稚さを彼はどう受け止めたのだろう。
イランのイスラム法学者支配体制が神権政治から早期に一変して、
神権を乗っ取った俗物の独裁制に陥ってしまったのは
ホメイニーの単細胞ぶりだけが原因だろうか。
神だけに許される聖なるものを、誘惑されやすく弱い人間の手に
決して渡さないように、不可触聖性を安全保障するシステムが
必要だったのだ。
イスラムは真理の追究であって、神への境地という、
永久に達成されない目的に向かって常に前進し続ける。
かつて正しいと思い込まれてきたものが、神の前には虚ろなもので
あることを、私たちは日夜、新たに発見し、知識を新しいものに
塗り替えて行かねばならない。
つまり、シャリーアは絶えず進化しなければならないし、
新たなエレメントの欠如した古いシャリーアは
今日ではすでに無効とされねばならない。
イラン・イスラム革命にはその要素が全くなかった。
革命を準備したシャリアーティーが人間の弱さへの警戒を怠り、
準備不足の側面があったのではないかという気がしてくる。
スンニー派の中にも、現在いたるところに
カリフ制の復活を掲げる勢力がある。
地上におけるイスラムの代理人であるカリフを
神の権威が存在しない現代において、どこから連れてこれるというのか?
彼らに、私たち自身の弱さについて警告しなければならない。