米軍協力者(その1)

海外の友人とはもっぱら、MSNメッセンジャーで話をする。
(参照→ http://im.msn.co.jp/
これなら、世界中どこでも電話代が掛からないから。
ヤフーなどもメッセンジャーシステムを持っているが、
(参照→ http://messenger.yahoo.co.jp/
信じられないほど愚かなことに、
ヤフージャパンはヤフージャパン同士でないと、
交信できないようになっている。
ヤフーコムを使えばいいのだが、数年前私が使っていた頃は、
日本語でメールを送ろうとするとことごとく文字化けして、
使い物にならなかった。
今は文字化けはないと聞いているが、MSNで使い慣れてしまったからなあ。

さて、そのMSNメッセンジャーで今日、バグダッドのオマルから
連絡があった。
オマルとは去年4月、テレビ東京の皆さんにアンマンで紹介していただいた。
5月1日に一緒にバグダッドに入り、およそ1ヶ月間、一緒に過ごした。
彼は20年前に父親に連れられて、サダムの迫害を逃れ、
ロンドンに出た亡命者の一族だった。
28歳になった彼は事業を始めるために祖国に戻り、
ハリバートン社の関連企業とCPAに物品を納入する事業を始めた。
つまり、正真正銘、反米抵抗勢力が敵視する「米軍協力者」だ。

彼は米軍を襲撃するイラク人たちのことを、
「クレイジーな旧バース党員連中」と呼んでいて、彼自身は服装といい、
話し振りといい、みごとに欧米ナイズされていて、同じイラク人ですら、
彼がイラク人だとは気がつかないほどだった。
正直私は当時、オマルに批判的だった。

そんなオマルはとっくに、20年前同様、イラクから逃げ出したのでは
ないかと、私は思っていた。
しかし、そうではなくて今日、彼は去年再建したマンスール地区の
自分の事務所から私に連絡をくれた。

「こんなことになるなんて、思ってもみなかったよ」

オマルは達者な英語で書いてきた。

「おれはバカだった。
楽観的過ぎたよ。
絶対これからよくなるはずだと、去年の同じ頃は信じて疑わなかった。
米軍があんな過ちを繰り返すなんて、誰にも予想はつかなかった。
イラク軍なんて、どこにいるんだ?
お前の仲良しのチェチェン戦士までもが、
ここへ来て戦ってるっていうじゃないか。
パレスチナ人やシリア人や、数千のイラク人と一緒にね。
みんな米兵を殺すために来てるよ。
国境なんてないも同じだし」

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