米軍協力者(その2)

「なあ、去年、おれたちが乗った車がファルージャ
エンコしたときのことを覚えてるか?
あれが今のタイミングじゃなくて、ほんとによかったよなあ。
あの頃は混乱していたけど、希望が山ほどあった。
イラクには未来があって、ぼくらは幸せだった。

今はみんなが怒っている。
バグダッドは犯罪だらけだよ。
近所の友だちが3人殺された。
いとこは誘拐されてしまった。
別のいとこは強盗に金を奪われた。
恐いよ」

私は書いた。

「避難した方がいい。マンスール地区だってもう安全じゃないよ」

しかし、オマルは…

「4週間、イラクを離れていたんだよ。
でも、仕事は今、急成長中だ。
長く離れているわけにはいかないんだ。
ここは危ないとはいっても、バグダッドの他の地区よりはマシだよ。
なんとかしのぐさ。

お前こそ、チェチェンで死ぬな」

米国自身がどんなに正当化しても、彼らがイラクで行った
侵略と大量殺戮の事実を考えると、抵抗の戦いは当然のことだ。

抵抗の戦いを戦う人たちが、米軍そのものだけでなく、
その協力者にも標的を広げるのは、軍事的な観点から考えると、
これもまた当然だ。
殺害された韓国人ビジネスマンも、橋田さんや小川さんやイラク人通訳も、
オマルも、本当はイラク人の敵ではなく、イラクに幸せを取り戻すために
命懸けで働いていた。
でも、抵抗の人たちが、そんな一人一人を見分けることなんて、
できっこない。
もっというと、私がイラクで見た米兵たちは、ほとんどは私よりも若い、
というよりも十代や二十歳程度のあどけない子たちばかりで、
バックパッカーの安宿やユースホステルでよく夜っぴいて話し込むような、
少なくとも侵略者という言葉でイメージできる連中ではなかった。

そんなひとりびとりの人間の顔を今の状況は考慮できなくしてしまうのだ。
私は米国のイラク侵略にも、その後の占領統治にも反対で、
反占領・駐留の抵抗運動を全面的に支持するけれども、
少なくとも、「米軍の協力者オマル」が死ぬことに耐えられない。