カルバラ(その2)

元祖天才MSさんは戦争写真を撮ることをやめ、
人々の生活を撮ることに切り替えたといっていた。
確かにイラクでは私も、戦争写真なんか撮ったって絵にならないし、
面白くもなんともない。
撮って面白いものがあるとしたらつまり、こういうものだ。
戦争は世界の他の場所に撮るべきものがいっぱいある。

午後6時過ぎ、ホテルに帰ると、マネージャーから提案。
「イラン人の客をあなたの部屋に泊めたいんだが、どうか?
35ドルといったが、20ドルにするから」
安いものにはすぐに飛びつく私は、二つ返事で快諾した。
男性は私と同い年でイラン・クルディスタンのサッケズ出身。
しかしクルド人ではなく、アゼリー人だそうだ。
奥さんの母親がスウェーデンに住んでいて、
98年に一ヶ月間、訪問したという。
奥さんの名前はジャクリーンだそうで、
なるほどハイカラな一家のようだが、本人は敬虔なシーア派ムスリムで、
この通りたった一人で巡礼に訪れた。
しかし、美しい祖国に比べて、イラクの汚さには閉口している。
今もこの部屋の冷蔵庫を開けてみて、あまりの汚さにのけぞっていた。
「まったく、アラブ人ってやつらは…」といいながら。
明日はナジャフかサマラへ行くそうだ。

明日はバグダッドへ帰ろうかどうしようか、迷っていたけど、
彼の話を聞いてナジャフへいこうかな、という気になった。
しかし、インターネットに接続できないのはちょっと困るなあ。
28日バグダッド、29日ナジャフ、3月1日サマワとかがいいのかなあ。

午後9時過ぎ、モスク前に出てみるとサマワでと同じように
大勢の人たちが通りへ出て練り歩いている。
大きな旗を振っている人たちもいる。
突然、カルバラのローカルテレビ「カルバラチャンネル」の
若いクルーに声を掛けられて、インタヴューに答えた。
日本人ムスリムでしかもジャーナリストとは面白いということになって、
今度は私が次々にカルバラの人たちにインタヴューするところを
彼らが撮影していった。
カルバラ市民の中に、サダムに家族を殺された人が多いのに驚いた。
それでいて、誰もが米軍をも憎んでいた。
サマワでは自衛隊は歓迎ムードだというけれど、
ここカルバラでは全く事情が違うのに驚いた。
「日本の軍隊がサマワに来ているが、どう思うか?」という質問に対して、
「敵の友は敵だ」と答えた男性がいて、ぞくっとした。
この人は米軍を敵だと言い切っていた。