「知識人」のみなさまへ

今の時代においては、現代思想キリスト教も仏教もイスラムも、
どれも最低限一通り学んで、
比較検討できる知性でないと実社会で使い物にならないと思うのだが、
チェチェンの活動家マディナ・マゴマドワはムスリマでありながら
クルアーンを読んだこともなかったし、
彼女の語るイスラムはデタラメの極みだった。

一方で、私のところに通っていた公安調査官氏の方は、
テロ対策の部署に所属しておられながら、
ロシアンスクールなのか何なのか、ロシアの文化人については
詳しいようだったが、やはりイスラムについてはイロハのイも知らず、
クルアーンを読んだ形跡もなかった。
善良な人柄の裏返しなのだろうけど、
頭の中が実にシンプルにできていらっしゃるようだった。

同じようなことは市民団体系の活動家やジャーナリストにもいえる。
話をしていてそっくり同じ、「あ、この人理解できていない」
という感覚が伝わってくる。
熱意溢れる若手の市民運動闘士から、往年の大活動家まで、
その点ではまるで違いがない。

つまり、こちらの知的水準に全くついて来られないのだ。

クルアーンは難解なことは確かだけれど、
分厚いわけでも漢字が多いわけでもない。
翻訳なら一日で読みきれる分量だ。
聖書は旧約を含むとかなりの分量になるけれど、
物語があって飽きさせないし、面白い。
本当は一番大変なのは仏教の勉強だ。

完全に理解しろとは言わないし、それは不可能だ。
自分なりの理解を持てればそれで十分ではないのか。
私だってそうだ。

頼むから自分の狭い世界観の中から私に話しかけないでくれ。
あなたに理解できるほど幼稚な返答をこちらは準備できないのだ。
できたら最低限の教養を準備して私に話しかけてくれ。