反弱肉強食

つまるところ、これは「弱肉強食」という原理に生きようとする人たちと、
それを肯んじまいとする人たちの闘争なのだと思う。
「弱肉強食」を究極まで推し進めると、日本という国家は
それより大きくて強力な米国には服従すべき存在となるし、
米国の前に日本の国益などというものはなく、
日本は米国に利用されるために存在しているということになる。

同様に、日本よりも進んだところが何ひとつないとしても、
日本よりも大きな軍事力と核兵器と資源を持ったロシアに対して、
やはり日本は服従し、ロシアの利益のために
日本が存在するということになる。

そして、日本はそれよりもいとけないアジア・アフリカの小国や
イスラム世界を、たとえ何の理由もなくとも蹂躙して、
米国の食い物にされた穴埋めをしてゆくべきだというのだ。

公安調査庁だとか、自称セキュラーの中にこういう人たちがけっこういる。
昨日お会いしたN会のT理事長はその対極にある考えの持ち主だった。
「強いものが弱いものを犯してゆく社会を認めない」と
T氏はいった。
彼の専門分野は福祉行政で、その生涯を通して、
障害者が幸福を追求できる社会の実現を目指して、
日本の政策に関わってきた。
一方の私は戦争を扱う記者だが、
ある一点で私たちには共通性がある。
私もまた、アフガニスタンソ連に侵略され、米国に侵略され、
チェチェンがロシアの侵略される現状を認めることができない。

イスラム以前のアラビア半島は、「弱肉強食」に近い論理が
支配する社会だったらしい。
イスラムは人間の知性と理性によって、野生動物の掟を越える
「神の法」を人間社会に実現しようという思想だ。
つまり、やはり「反弱肉強食」の思想といっていい。

アフガン人にも、チェチェン人にも、障害者にも、
迫害を受けていい理由は何もない。
幸せを追求する自然の権利がある。