ヒッキー自己認定

今日も一日引き篭もり。
ついに自分が本当に引き篭もりであることに気づき、
インターネットで引き篭もりに関するサイトを探して調べものをする。
タイミング良くか悪くか、朝日、読売、毎日が一斉に
引き篭もりに関する記事を発表している。(↓)
http://www.asahi.com/national/update/0728/029.html
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20030728it16.htm
http://www.mainichi.co.jp/news/flash/shakai/20030729k0000m040116000c.html
最近、新潮社のギャルギャルT編集者に「なぜ戦場へ」
と問われて答えられなかった。
そういえば先日、河合塾で講演したときも
塾生に同じ質問をされて答えられなかった。

よおく考えてみたが、結局、他にできることがないから、
としかいいようがない。
バグダッドで、亡命イラク人実業家のオマル・ハディが、
「お前はウォー・ジャンキーだ」といったので、私は違うと言い返した。
戦争は怖いし、大嫌いだ。
軍隊も、兵士も、銃も戦車も、興味が持てないし、
ぜんぜんかっこよく見えない。
難民にも関心がないし、平和運動にも興味がない。
いくら考えても、やはり私はかわゆい女の子と南の島でのんびりしたい。

しかし、戦場へゆかないとなると、私は床爪荘で引き篭もっているしか、
なすすべがなくなってしまう。
西牟田うんぺーといい、東長崎の若手たちといい、
ライターやジャーナリストとしてはなんとも気合が入りきれなかった
連中だが、彼らは現在、いろんなアルバイトでがんばって自活している。
ところが私は、ジャーナリストとして仕事がうまくいっていない時期でも、
他の仕事を試してみようという気力さえなかった。
戦争取材を取ってしまったら、私は本当にただの
30代引き篭もりになってしまっていた。
つまり、私は引き篭もりだから、戦場へゆくしかないのだ、
と思い当たった。
自分で略歴に「ときどき引き篭もる」なんて書いているが、
ときどきなんてもんじゃない。
私は引き篭もりが本来に近い姿であって、引き篭もりの合間に、
引き篭もりから一時的に脱出する意味で、戦場を訪ねていたのだ。
アタマ空っぽの冒険バックパッカーや、人類愛に目覚めた活動家が、
文字通り無鉄砲に戦場に乗り込んでいったりして、
それを批判するジャーナリストがいたりするが、
彼らを批判するならば、私はもっと強く批判されなければならない。