きみの窓の明かり(その1)

ミニFMの「西東京FM」で今日、真島DJの番組に私が出演して、
チェチェンの話をしました。
した、と思います、たぶん。
収録番組で、しかも保谷・田無周辺でしか受信できないので、
私自身は実際に放送されたか、聴いていないのです。
収録は先週の水曜日で、モスクワ劇場占拠事件の発生前日でしたから、
その話はしていません。
全くたまたま、タイミングどん、ぴしゃ、だったわけです。

せっかくですから、番組用に準備した台本をここに公開してしまいます。

真島DJ=M
常岡=T

M:チェチェンに関して、先日講演したそうですが、
チェチェンは今、どうなっているんですか?

T:非常に激しい戦争が続いています。
日本では余り伝えられることがないんですが、
パレスチナアフガニスタンよりもむしろ、大勢の人たちが犠牲になっています。
特に去年のニューヨーク911事件の後、
アメリカの対テロ戦争の標的にされた事情もあって、
戦闘は激化の一途を辿っています。

M:チェチェンアメリカが関係しているんですか?

T:チェチェン戦争は、チェチェン人という人たちが
ロシアから独立を求めて戦っているんですけど、
アメリカもロシアもチェチェン人をテロリストと呼んでいます。
ウサマ・ビン・ラディンのグループが
チェチェン難民の村に逃げ込んだなどといって、
アメリカはチェチェンに隣接したグルジアという国に軍隊を派遣しました。
でも、本当はアメリカもロシアも、
チェチェンの近くのカスピ海で採れる石油を手に入れたくて、
軍隊を送り込む口実にチェチェンを利用しているんです。
アメリカは自分では手を出さず、グルジアという国に軍事支援をしています。
そして、グルジアチェチェンを軍事支援して、
ロシアとの戦争を長引かせようとしています。

M:常岡さんはどんな取材をしてきたのですか?

T:この3年間、チェチェン難民やゲリラのところに住み込んで、
彼らの戦争を見てきました。
実際にはテロリストなんてものはなくて、難民たちが家に帰りたい一心で、
5000メートルの山を越えてチェチェンへ戻ろうとしているんですけど、
山の上にはロシア軍がいますから、そこで衝突して戦闘になります。
水も食料もないところで飢えに苦しみ、砲撃や空爆に追いまくられながら、
何週間も山の中を歩き通しました。
その中で友だちになったチェチェンの人たちが
空爆や地雷で次々に死んでゆきました。
(その2へ続く)