あの子たち(その1)

悲劇が幕を閉じた。
しかし、次の幕が次々と開こうとしている。

パンキシ渓谷の民家で、一つの部屋に10人もの仲間が雑魚寝しながら、
私たちは毎晩、議論していた。
ジハードとは何かということについて。
若者たちは、10代後半から20代前半まで。
33歳の私から見ると、「あの子たち」と表現するよりない。
意見は一人一人、相当に隔たっていた。
あるものは、
コーランでは、過剰な報復が禁じられている。
 敵がおれたちの家族を一人殺した場合、おれたちも敵の家族を一人殺してよい」
といった。
またあるものは、
「侵略者だけを殺さなくてはならない。
 敵の家族であっても、直接侵略に手を貸さないものを殺してはならない」
と主張した。

チェチェンの戦士たちが常に自慢にしていることがあった。
それは、彼らの戦いが、非戦闘員に対するものでも、
モスレムに対するものでもなく、
紛れもない異教徒の軍事的侵略に対するものであるということだった。
非戦闘員のイスラエル市民を標的としたパレスチナの自爆攻撃や、
モスレム同士の戦争を果てしなく繰り広げた
アフガニスタンタリバンマスード派とは違うというわけだ。

ある日、民家の一つにビデオデッキが持ち込まれて、
戦士たちは自分たちで編集したビデオをみんなで観ていた。
それは、山岳地帯の戦闘で生け捕ったロシア軍幹部を
チェチェン人が処刑する一部始終を映したものだった。
キンジャルと呼ばれるチェチェン民族の伝統的な剣で、
士官ののどを一気に掻き切ると、夥しい血が流れ、
捕虜はうめき声を上げながら絶命していった。

あまりの酷たらしさに気分が悪くなり、バルコニーで新鮮な空気を吸ったあと、
私は戦士たちをなじった。
「おまえたちはそうやって、自分の首を切っているようなものだ」と。
若者たちは猛然とくってかかった。
「ヤツらはおれたちの妹を犯し、子どもを殺した。
 おれたちはその当然の報いとして、兵士を殺しているだけだ!」
(その2へ続く)