隠さざる意思(その1)

事実を隠さないこと、ねじ曲げないことは
ジャーナリストにとって最低限のことで、
背景にどんな利害関係があろうとも犯してはならない一線のはずなのに、
守り通せる人はあまりにも少ない。
私が袂を分かったアジアプレスもそれを貫けなかったし、
ハワジの件で私に圧力を掛けてきた自称ジャーナリストもそうだ。
いずれも、報道の世界でそれなりに評価されている人たちなのに。
隠す、曲げるといったアンフェアな行為をする人たちは、
自分ではその自覚がないケースもあるらしい。
それを考えると恐ろしくなる。
私もいつか、自分では全く意識できないまま、
事実を隠したり曲げたりし始めるのだろうか?
今後私が何らかの形で、事実を曲げているのを見た方は、
どうか厳しく指摘してください。

去年のチェチェンアブハジア取材の件で、
ハムザート・ゲラエフ司令官がなぜ、私に作戦同行を認めたのか、
考え続けている。
作戦は理由もないアブハジア武力侵攻で、市民の犠牲も多く、
明確な国際法違反だった。
カフカスの山頂沿いに私と並んで歩きながら、ハムザートは
「お前はどこへゆくも、なにを見るも、なにを撮るも全て自由だ」
といった。
「なぜ私を連れてきたのか?」
と尋ねても、
「お前がモスレムだから」
としか答えなかった。

ハムザートという人物は、教養人で人格者として知られている。
ドイツ弁証法を修め、欧米式の論理とイスラムの信仰を両立させた思想家でもある。
間違いなく、米国のブッシュよりもかなりアタマがいい。
軍事的に大きな成功を収めていないにも拘わらず、
人格者としてカリスマ的な支持を集めている。
(その2に続く)